皆様御無沙汰しております。

半年以上もブログを更新しておりませんでした。

その間たくさんの”いいね”ありがとうございます。

 

母が亡くなり、半年後に父が亡くなり、実家は空き家になりました。

私にとって思い出のある家ですがずっと空き家にしておくことは出来ません。

生前両親とも生末どうするか話し合ってきたことであります。

そろそろ何とかしようと思います。

 

さて今回のブログを書くきっかけになったのは、

久しぶりに自分の守護霊?、目に見えない存在さんに御願いをしました。

 

今までも良く仕事でどうにもならないことがあると心の中で

御願いをします。

「何とかこの問題を解決してください」と。

 

一週間前に20年前くらいに収めた機械の不具合で自分とメカ調整の方と2人で

行った時の事です。

メカ調整の方は順調に作業を終わりました。

その際にお客様からたまたまある現象を指摘されました。

 

??そんなことはないはずですが・・

プログラムは問題ないし・・・

とりあえず機械のコンピュータとパソコンのを繋いで現象を確認します。

 

すると・・・あ、確かに、これは設定が間違っていることに気づきました。

そこを直してプログラムを転送しなおして・・

これでうまくいくはず。

 

ところが転送し、動作を確認しようと思ったら、タッチパネルの操作が効かなくなっていました。

何故?どうして、そんな個所は変更していないのに・・・

とりあえず、変更する前のプログラムを機械のコンピュータに転送しましたが

やっぱり、タッチパネルのスイッチが反応しません。

 

そんなこんなで2時間近く、考えていましたが、わかりません。

こうなったら、天下の宝刀を抜くしかありません。

心の中で「どうかこの問題を解決してください」と。

 

それから、いろいろと試す中でタッチパネルで他のエリアが変な反応することに

気が付きました。そこからタッチパネルの設定を調べていくうちに

ある条件が入った時にスイッチが反応しないことがわかりました。

普通はそのような条件を入れることはないのです。

そしてその条件は2年前にタッチパネルを交換した時から入っていました。

 

つまり、通常はその条件が入ることはあまりないのですが

今回テスト的に機械を動作させていた為、たまたまその条件が入ってしまったのでした。

際、プログラムミスだったのですが2年前からそのプログラムで動作していただんですね。

まぁ、そんなこんなで無事終了した次第です。

ほんと、”天下の宝刀”は必ず助けてくれます。

 

話は前後しますが今年になってメルカリをするようになりました。

前の会社(おもちゃ、ゲーム関係)でいろいとをもらって取っておいたものを処分する為にです。

そこそこおもちゃ、アニメ雑誌なども好調に売れ、少なくなっています。

また以前購入したスピリチュアル系の本も売れました。

これから、少しづつ読まなくなった本を出していこうと思います。

 

そして昨日振替休日を取り、以前気になっていた鷲宮神社に行って来ました。

鷲宮神社と言ったら

絵馬も

絵馬の中で僕はこれを注目します。ウインク

そう、ちいかわのコラボです。

この年で娘に影響されて出張先で時間が出来たので、ちいかわの映画を見て来ました。😊

 

鷲宮神社は創建が分からないほど古く紀元前とか・・・

神崎神社:主祭神は大己貴命(オホナムヂノミコト)=大国主大神 出雲大社の主祭神

鷲宮神社:主祭神は天穂日命(アメノホヒノミコト)=天照大神の5男神 国譲りの際、最初に遣わされた神
    :    武夷鳥命(タケヒナトリノミコト=アメノホヒノミコトの子

出雲に関係ある神社ですね。

ですが摂社として神明神社(天照大神)もあります。

 

また摂社の中で栗島神社があり、その中で武内宿禰(たけのうちのすくね)

がありました。ちょっとびっくり。

 

この日は曇りの晴れで少し暑かったのですが良かったです。

お参りが終わり大酉茶屋ひよりに寄ってきました。

星のマーク、らき☆すたのイメージのアイスあんみつです。

美味しかったです。

 

そんなこんなでいろいろと書きましたがここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

 

去年5月に母(88歳)が他界し、11月に父が他界しました。

 

人は生まれた以上いつかは死を迎えます。

判ってはいるものの自分の近くの身に起きると

それは大きな衝撃となってくるものです。

 

自分の子供の時の家族、両親が居て兄妹が居て、家族団らんで楽しいお正月を迎えた日々。

 

一年前までは2人とも元気で歳を取ってはいるものの

まさかこのようになるとは夢にも思わなかった。

 

だけど、さすがに両親は高齢だし、ちゃんと親孝行をしておかないと悔いが残ると思い、

一年前から頻繁に実家に行くよう心掛けていた。

 

だから、悔いはないはずだけど、だけど、やっぱり、寂しい。

 

おふくろは午前中まで自分と話していたのに、

午後自分が買い物に行っている間、あるいは帰って来てから数時間の間に寝ていると思っていたのに、あちらの世界に逝ってしまった。

 

親父は前日兄貴と買い物をし、翌日も用があって出かける予定だったのに、家に入ったら浴槽で亡くなってた。

 

おふくろは生前、寝るように亡くなりたいと言っていた。

親父は近所の人にお風呂で亡くなりたいと言っていたそうだ。

 

2人とも共通して言えることは一生懸命生きた、ということだ。

だから自分も一生懸命生きることが両親に対しての返事かもしれない。

 

まだ、本当の心は癒えないけど、これは時間が解決してくれることだろう。

 

そんな時にこの本の見つけました。

今までも死後の世界の本を読ん事はあったけど、

神人さん、youtubeで何度か閲覧したことのある人、

自分はそれなりに信じるに値する人だと思っていました。

神人さんはあちらの世界と交信できる人です。

 

神人さんはこの本で自分の母が亡くなった時のことを

神人さん(タケ)が公演中に母が亡くなり、電車で母の

所に向かう電車の中での対話形式で書かれています。

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私:「おい、おらの声が聞こえるか」

母:「あれ、タケが?」

私:「んだ。なぁ、本当に死んだのが?」

母:「えっ、誰のこど?」

私:「誰って、お袋のこどだべばな」

母:「えっ?わたし?何、言ってるの?よく分からない。

  これは夢でしょう」

私:「夢でねぇ、おらはおぎでら。死んでさっき電話もらった

  がら、こうして直接話かげでらのよ」

母:「そんなこどないよ」

私:「そんなこどないって。へんだば、死んだこどがまだ分か  らねんだべ。今、何見えてらど?」

母:「タケが汽車に乗ってるでしょ」

私:「んだ。したらなんで、お袋がここさいるど思う?」

母:「・・・分からない」

私:「自分の身体ば抜けで、瞬間移動してこごさ来たのよ」

母:「瞬間移動?そんなことあるの・・・?あら大変だ!そうしたらどうすればいいの?」

私「こっちのセリフだじゃ・・。とりあえず、肉体に戻ってみで。それで、目が覚めるようであれば、まだ死んでいない。臨死状態だから、まだ生き返れるがら」

母:「分かった。やってみるね」

私:「ん、早く行って!駄目だったら、まだすぐこっちさ来てけで」こっちに来ないこと願っていると、数分後、母が話し掛けてきた。

母:「目が開かないよ。どうすればいいの?」

私:・・・。んだば、もう駄目だ。死んだんじゃ。もうわがね、無理だ・・・」

母:「えっ、わたし死んだの?)

私:「こっちのセリフだって・・。なんで急に死ぬのよ。わけがわかんねぇじゃ・・。こないだ元気だったじゃな。親父が死ぬんだば、まだわかるばって、なんでお袋が死ぬのよ。まったく考えらねぇじゃ・・・」

母:「そうしたら、わたし、どうしたらいいの?」

私:「とりあえず、オラの所さ居ればいい。どうせ誰ども話でぎはんでよ」

母「ほんとうに、これ、夢じゃないの?わたしからは夢みたいに思えるけどね」

私:「死んだばっかりの時は、夢のように感じるのよ。みんなそったらもんだ。自分がしんだこどがすぐには理解でぎねもんなんだ」

母:「あらっ、わたし、まだやるこどいっぱいあったのに、困ったもんだ・・・」

私:「もう、なんで死んだのよ、これがら・・・」

 

その後、最終電車の車両に一人揺られ、母と話しながら実家へと向かいました。

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なんか、この本を読んでシンクロしたって言うか、うちのお袋も親父も多分、自分が死んだこと分からなかったんだろうなって思ってしまいます。

 

お袋には妹がいて、良く妹の事を自分に話してくれました。

仲の良い姉妹で去年だったかな、妹(おばさん)の旦那さんが入院していて是非お見舞いに行きたいと言うので千葉まで

僕が両親を連れて千葉に行きました。

 

それが母の最期の妹との対面でした。

おばさんに僕は母の葬式の後、ひどく悲しんでいたので

励ましのつもりでメールを送ったのを覚えています。

確か、ハッキリは覚えていないけど、母の命は永遠で魂になって自分たちの事を見ているよ、とそんなようなことを書いたような気がします。

 

ただ、その後何も返事が無かったので、ちょっと気になっていましたが、49日法要の時、おばさんからその時、メールを返そうと思ったけど、なぜだか返せなかっと言っていました。とっても感動して、泣きながら感謝の気持ちを伝えてくれました。

 

そのおばさんにも是非この本を読んでもらいたい思っています。

 

もう両親の事を心配することは無くなりました。

これからは自分の人生を生きることになります。

自分の人生はこれからどうのような人生をおくっていくのか。よくよく考えていきたいと思います。

 

最後までブログを読んでくれてありがとうございました。

 

今年も不定期ではありますがブログを書いていきたいと思います。

皆様にとって良い年でありますように。ニコニコ

 

 

 

 

 

 

皆様暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。😊

母の49日の法要も無事終了し一段落した感じです。

 

最近youtubeで冝保愛子さんの事が書かれているのを

目にして、そう言えば昔、冝保愛子さんの本を買っていたのを思い出しました。

タイトルは「冝保愛子の死後の世界」です。

 

 

冝保さんってテレビで見ていた時は普通のおばさんで

それが妙に親近感を感じていました。

飾らない、威張らない、ありのままの冝保愛子さん。

 

この本の中でこんなことが書いてありました。

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亡くなった私の兄や弟から霊界の情報をたくさん教えてもらったことは、すでに書きました。

その弟が死んだ日の事を私は生涯忘れることが出来ません。

 

それは終戦後間もなくのことです。空襲で家を焼かれてしまい、私たちはまだバラック小屋での生活を余儀なくされていたころでした。

六月十一の朝十時ごろだったでしょうか。十一歳になったばかりの弟は、車にひかれて不帰の人となったのです。

救急病院に担ぎ込まれたと、知らせに家に駆けこんできたのは、彼の遊び仲間でした。その日もいっしょに遊んでいたのでしょう。

 

病院と言っても戦後の病院ですから、治療施設も十分でなく、母と駆け付けたとき弟は野戦病院のような粗末なベッドに寝かされ、口からときどき血を吐いていました。

 

命だけでも助けて欲しいと、母はうめくようにいい、弟にしがみつきました。その母の姿が悲しくて、私はまともに見ることができませんでした。「助けて」という声がかすかに発していたのもつかの間、弟の意識はだんだん混濁としていきます。お医者は内臓破裂でもう時間の問題だから、逢わせる人がいたら連絡をするようにとのこと。親戚や遊び仲間たちも

集められ、最後のお別れをしました。

 

急を聞いてかけつけてくれたお隣のおばちゃんが「かわいそうに、かわいそうに」と言いながら、彼の足を毛布の上からなでてくれました。

 

そして低い声で南無妙法蓮華経と何度も唱えていました。

それを聞いた弟は薄れていく意識の中でこういったのです。

「僕、南無妙法蓮華経と聞くと、身体がとても楽になるんだよ」

 

弟がこの世で言った最後の言葉でした。

 

弟の言葉によって、そのお経がどれだけ強力な力を持つか知ったのです。弟が自分の身を呈して私にくれた最大のプレゼントでした。弟の死後、南無妙法蓮華経と唱えることで、言葉に尽くせないほどの救いを得ています。

今もなお困った時には、このお経を唱えて救いを求めています。苦しみを和らげ、限りない安らぎへと導いてもらえるからです。

 

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」これだけの言葉のなかに、宇宙のエッセンスが含まれているような気がしてなりません。」

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かくいう私も実は不思議な体験をした一人です。

霊的な体験ではありません。

なんたって霊感ゼロの私ですから。ニコニコ

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。