皆様暑い日が続きますがいかがお過ごしでしょうか。😊

母の49日の法要も無事終了し一段落した感じです。

 

最近youtubeで冝保愛子さんの事が書かれているのを

目にして、そう言えば昔、冝保愛子さんの本を買っていたのを思い出しました。

タイトルは「冝保愛子の死後の世界」です。

 

 

冝保さんってテレビで見ていた時は普通のおばさんで

それが妙に親近感を感じていました。

飾らない、威張らない、ありのままの冝保愛子さん。

 

この本の中でこんなことが書いてありました。

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亡くなった私の兄や弟から霊界の情報をたくさん教えてもらったことは、すでに書きました。

その弟が死んだ日の事を私は生涯忘れることが出来ません。

 

それは終戦後間もなくのことです。空襲で家を焼かれてしまい、私たちはまだバラック小屋での生活を余儀なくされていたころでした。

六月十一の朝十時ごろだったでしょうか。十一歳になったばかりの弟は、車にひかれて不帰の人となったのです。

救急病院に担ぎ込まれたと、知らせに家に駆けこんできたのは、彼の遊び仲間でした。その日もいっしょに遊んでいたのでしょう。

 

病院と言っても戦後の病院ですから、治療施設も十分でなく、母と駆け付けたとき弟は野戦病院のような粗末なベッドに寝かされ、口からときどき血を吐いていました。

 

命だけでも助けて欲しいと、母はうめくようにいい、弟にしがみつきました。その母の姿が悲しくて、私はまともに見ることができませんでした。「助けて」という声がかすかに発していたのもつかの間、弟の意識はだんだん混濁としていきます。お医者は内臓破裂でもう時間の問題だから、逢わせる人がいたら連絡をするようにとのこと。親戚や遊び仲間たちも

集められ、最後のお別れをしました。

 

急を聞いてかけつけてくれたお隣のおばちゃんが「かわいそうに、かわいそうに」と言いながら、彼の足を毛布の上からなでてくれました。

 

そして低い声で南無妙法蓮華経と何度も唱えていました。

それを聞いた弟は薄れていく意識の中でこういったのです。

「僕、南無妙法蓮華経と聞くと、身体がとても楽になるんだよ」

 

弟がこの世で言った最後の言葉でした。

 

弟の言葉によって、そのお経がどれだけ強力な力を持つか知ったのです。弟が自分の身を呈して私にくれた最大のプレゼントでした。弟の死後、南無妙法蓮華経と唱えることで、言葉に尽くせないほどの救いを得ています。

今もなお困った時には、このお経を唱えて救いを求めています。苦しみを和らげ、限りない安らぎへと導いてもらえるからです。

 

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」これだけの言葉のなかに、宇宙のエッセンスが含まれているような気がしてなりません。」

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かくいう私も実は不思議な体験をした一人です。

霊的な体験ではありません。

なんたって霊感ゼロの私ですから。ニコニコ

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

皆様こんばんちは。😊

毎日暑い日が続きますが

いかがお過ごしでしょうか

 

暑いといっても、

何故か空気が柔らかい、

そんな感じがしているのは

私だけでしょうか

 

今のところ

大震災は発生していませんが

7月いっぱいまでは油断しないで

いようと思います。

 

油断大敵、天災は忘れた頃にやってくる

 

7月8日

今日は国内出張。

新幹線で姫路に移動、そこでレンタカーを

借りて現場に直行。

 

レンタカーのお店で

「免許証出してください」

はい、えっと・・

免許証、免許証、

あれ?ない・・・

ちょっと待ってください

 

ない、ない、免許証が財布の中に

あるはずが・・・

 

あわわ・・・

何故、ない・・・

 

そういえば

数日前、ホームセンターに

災害用の備蓄品を買いに行った時

 

レジの前で財布からカード一式

落ちてしまったことがあった

 

一応全部拾ったつもりだけど

その時、もしかしたら

レジの台の下の方に入って

しまったかもしれない、

だけど、多分それはないな、

なので確認しなかった。

 

あーーあの時かもしれない。

 

早速そのホームセンターに電話をし、

数日前に落し物が免許証が届いているかどうか

確認したところ、

届いていないとのこと。

 

もしかしたら、まだレジの下あるかもしれないので

探してみてください、と。

 

数十分後電話が鳴りました。

やはりありません、との事。

 

ふ~・・・・

 

どうする、どうする。

 

まだ現場に入る予定時間にはまだ余裕があるが。

 

でも、いったい何処に・・

 

ん?そう言えば数日前、家のコピー機で

免許証かマイナンバーカードか、

必要だから撮ってと言われたような・・

 

家に電話した

あの~免許証無くして、

もしかしたら

コピー機の中に入っていない?

 

電話口で!あったよ!

って

はぁ~良かった。

 

あの時コピー撮ってそのまま忘れたんだ。

 

じゃ、すぐに今回滞在先のホテルに送ってくれる?

 

何とか、明日の午前中に届くとの事。

良かった・・・

 

だけど

今日はタクシーで現場に入るとして

帰りもタクシー

次の日の行きもタクシー?

次の日の帰りもタクシー?

そしてホテルに帰って

免許証を受け取って

レンタカーに行って

レンタカーを借りる

となると

 

あわわわ・・・大変な損害

因みに行きでかかったタクシー代

9千円

 

これはどうしたもんか、と考えたあげく

初日の現場からの帰りは

最寄りの駅までタクシーで行って

そこから電車で姫路に

次の日もそうすれば

かなり安く済む。

なんとかなるなる。

 

初日の現場でタクシーで予定時間に

無事到着。

仕事も順調に終わった。

 

だけど、他の設備がちょっとまだ時間が

かかるというので

「明日は午後から来ていいよ」

と言われ

 

え、超ラッキー!!

明日午前中に免許証が届けば

すぐにレンタカーを借りて

現場に行ける。

 

いや~助かった・・・

初回のタクシー代は痛かったけど、

まぁいいっか。

 

タクシーのおっちゃんが少し儲かったと思えば。

 

そして現場も順調に終わり

一旦家に帰って、

次の日は中国に出張。

 

う・・・ん、大丈夫だろうか

 

みんなに気を付けてね

と言われ

多分大丈夫だと思うけど・・・

 

すでに仲間が先に中国入りしていて

情報を共有していたので

一人で入国だったけど、

何とか無事に着きました。

 

中国での出張で感じたこと

〇ご飯がまずい、料理は独特の香辛料でちょっと苦手

 だけど美味しいものもある。

〇電動バイクが歩道を走るので歩行者は注意が必要

〇今回の現場は気候は日本と同じ、暑い

〇ホテルの近くには家族向けのショッピングモールが

 あったけど、時間のせいもあり人が少なかったかな

〇特に治安が悪いという風な感覚は無かった

 

とりあえず、無事帰国しました。

 

そして20日から2泊3日で違う他の現場に出張。

会社で朝6時半に待ち合わせ

 

前日目覚ましをかけて

朝の支度をして出発

会社に着いた。

 

ん?7時11分?

え?なんで

 

目覚ましをかける時間を間違えた。

5時50分に家を出るのを

間違えて5時50分に目覚ましをかけてしまった。

 

会社にはすでに誰もいない。

すぐに一緒に行くはずだった

社員に電話。

 

「どうしたの」

「事故でもあったかと思ったよ」

 

そしてすぐに会社にあった車両を借りて

現場に向かった。

 

ちょうど受付をしているところで合流。

間に合った・・・

ちょうど、ジャストタイミング!!!

 

そこの現場も順調に進み

次の日もほぼ午前中に終わったので

 

よし、鬼滅の刃見に行こう(ルンルン)と

夕方まで待って予約して行きました。

 

えっと、近くにイオンは

ナビでセット

時間はまだ余裕だな

 

そして到着

お、結構綺麗だな

新しいイオンだ。

 

帰りはここで食事していこう。(*^-^*)

 

と思い、車を止めて

中に入る

 

シアター、シアター

あれ?どこにもない?

どういう事?

 

もう一回、予約したイオンのホームページを

確認。

 

え?あれ、ここじゃない?

もう一つイオンがあるの?

 

ここから車で10分くらい行ったところに。

 

やばい、まだ間に合うか・・・

 

ナビにセット。

で何とかギリギリ、と言うか

17時15分

ジャスト!!ジャストタイミング!!

間に合った。

 

以上

ここまでの話を間違いなく真実です。

 

まったく、おっちょこちょいと言うか

なんと申しましょうか・・・やれやれです

 

因みに「鬼滅の刃」良かったですよ~

 

それではまたウインク

 

 

母が亡くなってからもうすぐ一か月となります。

そして父の要介護2になったことにより

兄妹と共に実家に通うことが多くなりました。

 

掃除、洗濯、食事、何とか1人で生活は出来ていますが

買い物近くのスーパーにやっと、何とか行くことが出来るようになったばかりです。

 

ほぼ毎週実家に行っている状態です。

 

さて、2025年7月5日、皆さんはどう思って

どう対処していますか。

 

実は7月5日、会社から中国に出張が決まったよ。

と言われ、その時はそうですか・・わかりましたと

回答。

 

ですが日を追う事に心は憂鬱に

1年前からこの日は絶対に休んで、いざと言う時に備えよう

と思っていました。

 

東日本大震災の時に私は九州に出張に行っていて、

地震を体験することが出来ませんでした。

 

自分の県は震度5強、家の中の食器は落ちて粉々、

部屋の荷物もバラバラに落ちたそうです。

子供達は幼稚園でその揺れを体験したそうです。

 

近所の家の屋根の瓦が落ちたところもありました。

出張から帰って来て

スーパーに水が無く

パンも無く

ガソリンも並んでやっと給油できる程度。

 

かみさんに言われたことは今でも覚えています。

”あなたは大事な時に家にいないんだから”

 

そして今回の出張、本当は6月に出張のはずだったのに

なぜ7月5日・・・

 

また自分だけ、津波に合わない・・

 

いろいろと考えたあげく、

社長にどうしても7月5日には・・・

1日延ばして欲しいと言いました。

 

結果私だけ伸ばしてもらいました。

 

もともと関西に7月8日から別の仕事が入っていましたから、その仕事を終わってから中国に出張に行くことになったのです。

 

まぁ、社長はどう思ったかは知りませんが

決して良い印象はなかったでしょう。

 

ですがもし、本当に大災害が起きたら

それこそ、一生の悔いが残ることになります。

それだけはしたく無かった。

 

自分が家にいれば、いろいろと何かは出来る事はありますから。

 

とりあえず、水とガスボンベと米は買って置きました。

備えあれば憂いなし

 

大災害が起きなければそれはそれで良し。

水も無駄にはなりませんから。