備中国成羽陣屋跡/岡山県高梁市 | 史跡散策

史跡散策

古代からの歴史や史跡散策が趣味です。
プロフィール写真は、備後・福山城

 江戸時代の交代寄合旗本5000石の山崎氏の成羽陣屋跡には

今は成羽美術館が建造されている。

 最初の写真は、大手門跡です。

 

 次の写真は、御作事門跡から大手門跡方向への3.5mの高さの

石垣で全長約270m有り、旗本の陣屋としては大きい規模です。

 

  次は陣屋の配置図で成羽美術館は、大手門の後ろの書院跡と

 御作事場跡に建設されている。

 大手門前は現在国道313号が通り、城下町を挟んで北側には

成羽川が流れている。

 

   次の写真は、悠然と流れる成羽川。 

  右は国道313号、陣屋跡はこの下流の右奥の山麓にあります。

 

  美術館を見学した後、旧城下町を少し散策しました。 

 次の写真は、旧侍屋敷の門です。

 

 次の写真は、先の侍屋敷門の通りに在る旧侍屋敷を改装した

 「蕎麦屋」さんです。

  丁度、昼食時間しなりましたので立ち寄りました。

 屋敷門を入り玄関の敷台から改装された座敷に案内されました。

 昔の侍の座敷の面影を残していると感じました。

 「ソバの味」もなかなかのものでした。

 

  この通りは、陣屋に近く近習など主君の近くに仕える中級以上の

 武士の屋敷が多かったようです。

   次図は成羽陣屋跡周辺の略図です。

 

 <ご参考>

 領主の山崎氏は、近江の宇多源氏佐々木氏の支族で室町時代

は近江六角氏の傘下だったが、安土桃山時代の豊臣秀吉の時の

山崎家盛は摂津三田2,3万石の領主で次代の山崎家治は関ヶ原、

大坂の陣の功により備中成羽3,5万石に加増転封、島原の乱の功

などにより、讃岐丸亀5.3万石に加増転封されたが、2代後に無嗣

改易となる、江戸幕府は山崎氏の従前の功を認め分家・山崎豊治

に先祖の旧地の内、成羽5000石を与え、交代寄合旗本で遇した。

 その後、山崎氏は明治維新まで存続している。

 維新直後の石直しで12,000石の大名になっている。