先の「さきたま古墳公園の丸墓山古墳」を訪れた際に豊臣秀吉
の小田原征伐の時、北条方の忍城攻略した時に石田三成が水攻め
策を選択して、丸墓古墳を本陣を置いて全長28km堤防を築いた
その跡の石田堤を見ましたので、難攻不落の忍城を訪れました。
最初の写真は1988年に鉄筋コンクリートで復元された、御三階櫓
忍城は室町時代中期の1480年頃の武蔵国の国人領主で関東管領
上杉氏の支配下の成田正等の築城と云われている。
成田氏は戦国時代の後半は小田原北条氏に属していた。
忍城は、北の利根川、南の荒川に挟まれた扇状地に点在する
広大な沼地で要害堅固な城で関東七名城だった。
下図は、旧忍城の全体模型図です。
沼地の中に点在する曲輪がよく判ります。
豊臣秀吉の小田原征伐では、成田氏当主は小田原城に詰めていた
叔父の成田泰孝が守備大将で、嫡子成田長親が活躍し守りきった。
映画「のぼうの城」で約10年前に野村萬斎さん主演した人です。
次の写真は、御三階櫓に架かる橋 (のぼう=でくのぼう)
次の写真は、城門
次の写真は、冠木門
冠木門を潜ると、旧本丸跡に行田市郷土博物館がある。
先の御三階櫓も博物館の一部になっている。
次の写真は、江戸時代の歴代城主の家紋が入った鎧です。
次の写真は、江戸時代中期より300年にわたり日本有数の足袋の
産地として知られた「行田足袋」の足袋職人さんの人形です。
<ご参考>
①忍城は徳川家康が関東入部後は4男松平忠吉が10万石で入城
②その跡は、老中に就任した、松平信綱、阿部忠秋など老中に就任
した約10万石格の譜代大名や家門の奥平松平氏が城主となって
関東東北部を抑えた重要な城でした。
③明治時代以降は忍市だったが1949年に「行田足袋]の名声から
行田市に改名されている。
<参考資料>行田市郷土歴史博物館資料による。