将軍山古墳、さきたま古墳群③ | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 埼玉県行田市のさきたま古墳群の一つ将軍山古墳です。

前回の金錯銘鉄剣の出た直ぐ南にある前方後円墳です。

 最初の写真は、前方部から見た墳丘で復旧作業後に設置

されている埴輪の模型があった。(墳丘には登れません)

 >   墳丘長さ90m、後円部径38.8m、高さ8.4m

                       前方部63.8m、高さ9.4m  造営年代は6世紀末

 この将軍山古墳は1894年に地元住民が岩を自宅の造園に使用

 使用とした時、後円部の横穴式石室を偶然発見した。 

次の写真は1997年「さきたま史蹟の博物館」の分館として、後円部

の一部を利用してあり内部が見学できた。

 

 次の写真は、石室内に再現された、埋葬の模型です。

 

 次の写真は発掘された馬具の形状や馬形埴輪などを参考にした

次の乗馬武将の説明図です。

 

 次の写真がその武将の凛々しい乗馬像

 

 この古墳からは多数の馬具、武器、武具、蛇行状鉄器、須恵器が

発見されており、中でも馬冑は、紀州大谷古墳に次いで国内では

大変珍しく 2例だそうです。

 <ご参考>

 ①前方部には、木棺を直接埋葬した墓壙が発見され168個のガラス

 

  玉のみで後円部埋葬者の関連女性と推定されている。

②現在、本館「さきたま史蹟の博物館」が改修中で 隣の稲荷山   

  古墳出土の「金錯銘鉄剣」の実物大の模造品が展示してあった。 

③本館が閉館中でしたが、分館に勤務中の係の人から

  さきやま古墳群の事に止まらず、関東古代や熊本の江田山

   古墳出土の鉄剣、倭の五王の話など、時間を割いてご説明

  頂き有意義な時が持てました。  

<参考文献>

  さきたま古墳群ね分館の資料

 内倉武久氏太宰府は日本の首都etc