埼玉県行田市のさきたま古墳群の一つ将軍山古墳です。
前回の金錯銘鉄剣の出た直ぐ南にある前方後円墳です。
最初の写真は、前方部から見た墳丘で復旧作業後に設置
されている埴輪の模型があった。(墳丘には登れません)
> 墳丘長さ90m、後円部径38.8m、高さ8.4m
前方部63.8m、高さ9.4m 造営年代は6世紀末
この将軍山古墳は1894年に地元住民が岩を自宅の造園に使用
使用とした時、後円部の横穴式石室を偶然発見した。
次の写真は1997年「さきたま史蹟の博物館」の分館として、後円部
の一部を利用してあり内部が見学できた。
次の写真は、石室内に再現された、埋葬の模型です。
次の写真は発掘された馬具の形状や馬形埴輪などを参考にした
次の乗馬武将の説明図です。
次の写真がその武将の凛々しい乗馬像
この古墳からは多数の馬具、武器、武具、蛇行状鉄器、須恵器が
発見されており、中でも馬冑は、紀州大谷古墳に次いで国内では
大変珍しく 2例だそうです。
<ご参考>
①前方部には、木棺を直接埋葬した墓壙が発見され168個のガラス
玉のみで後円部埋葬者の関連女性と推定されている。
②現在、本館「さきたま史蹟の博物館」が改修中で 隣の稲荷山
古墳出土の「金錯銘鉄剣」の実物大の模造品が展示してあった。
③本館が閉館中でしたが、分館に勤務中の係の人から
さきやま古墳群の事に止まらず、関東古代や熊本の江田山
古墳出土の鉄剣、倭の五王の話など、時間を割いてご説明
頂き有意義な時が持てました。
<参考文献>
さきたま古墳群ね分館の資料
内倉武久氏太宰府は日本の首都etc