江戸時代後期、碁聖と云われた本因坊秀策の因島の生家です。
写真①、本因坊秀策碑(1926建立)
生家は、元々ここにあったが老朽化のため記念館の奥に
復元されている。
写真②、本因坊秀策囲碁記念館
2007年当時の因島市と尾道市が合併した時の記念事業として
計画されて2008年に開館した。
記念館には、秀策ゆかりの碁盤、碁石など多く保管展示してある。
写真③、展示物の中に江戸時代の囲碁棋士・家元安井家九世の
安井算知(1810~1858)の「佳致精局」があり一枚だけ拝借しました。
なお秀策は、御城碁で安井算知と4回対戦して4勝している。
写真④、本因坊秀策生家
旧生家は、老朽化のため昭和47年(1972)に取り壊されて
その後、旧生家図を基に復元された。
木造平屋建て78m2和室4部屋
写真⑤、生家の座敷 10畳
写真⑥、第71回本因坊戦の第一局がこの座敷で行われた。
井山裕太本因坊に高尾紳絡九段が挑戦して高尾九段の勝利。
2016-5-9~10に対戦
私は、囲碁はザル碁のレベルですが帰宅してパソコンで対局を
見てみました。
写真⑦、秀策生家を庭塀の外から見る
下図は、本因坊秀策生家の場所です。
瀬戸内しまなみ海道の因島北ICの南約2.5kmの外浦町にあります。
<ご参考>
①本因坊秀策(1829~1862)はね備後国御調郡因島の外浦に
桑原輪三とカメの次男として生まれる、虎次郎
幼少より囲碁に関心を持ち母の手ほどきを受ける。
②天保8年(1837)広島藩筆頭家老の三原城主(30,000石)
浅野甲斐守の家臣の子として江戸へ出府して本因坊丈和
に入門する。 9才
1839初段→1842年には4段に昇段する。
③その後、丈和と当主丈策が相次いで亡くなり、1848年に
秀策は第14世本因坊跡目となる。 6段
丈和の娘・花と婚儀、家元となり、江戸幕府の幕臣となる。
④翌1849年から御城碁に出仕して、19連勝の大記録達成。
(1849~1861年の間)
⑤1862年、江戸でコレラが大流行して感染して病没する。
人格、学徳共に優れた人物で「碁聖」と言われている。
<参考資料>
本因坊秀策生家現地説明板
本因坊秀策囲碁記念館展示物
Wikipedia 本因坊秀策