元は村上水軍の見張り所で後に五百羅漢の石仏がつくられた
因島の白滝山です。
写真①、西側山麓から見た白滝山226m
写真②、山頂付近から西側の斜面
写真③、山門前の最後の急斜面の石段
写真④、観音堂(中央奥)
観音堂の場所は、永禄12年(1569)因島村上氏の第6代村上吉充
が今、因島大橋のある布刈瀬戸の見張り所として設置した。
その後、村上氏が周防に退去後に修験者の修行の場となった。
写真⑤⑥⑦は、観音堂から山頂までびっしりと700体の石仏が
設置され、五百羅漢と呼ばれている。
写真⑤、釈迦三尊
写真⑥、山頂までの石仏群
写真⑦、山頂の一観夫妻の石仏
写真⑧、山頂の鐘楼
眼下に村上吉充の居城の青木城跡が見える。
因島村上氏は、当初は因島南部の長崎城を本拠としていたが
戦国時代後期毛利氏の゜小早川隆景(三原城)の傘下となった
前後から布刈瀬戸を押さえるため因島幸崎城、向島余崎城に
本拠を移し更に青木城を居城としたようです。
写真⑨、白滝山より西の三原方面を見た処。
眼下には居城の青木城があり、その横の海には、村上水軍の
多くの軍船が停泊して壮観だったことでしょう。
遠景は、先日訪れた三原の筆影山です。
写真➉、白滝山山頂より「布刈瀬戸に架かる因島大橋」
写真右奥に向島の余崎城、そして因島側の右手前の
大浜地区に幸崎城があった。
下図は、因島白滝山の位置です。
瀬戸内しまなみ海道の因島ICの北約2kmの地点です。
JR尾道駅から直線で約10kmです。 写真①~➉
<ご参考>
①化学剤の殺虫剤が開発されるまでは、因島で原料となる除虫菊
が広く栽培されていた。
現在、観賞用として島内に4ケ所(49a)栽培されている。
見どころは5月初旬です。
②白滝山と除虫菊の風景は「にほんの里100選」にえらばれている。