鞆の浦のひな祭りと保命酒/福山市 | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 江戸時代の幕末の文永3年(1863)会津藩、薩摩藩などの公武合体派との政変で都を追放された尊王攘夷派の7人の公家が長州へ落ち延びる

途中、この備後鞆の保命酒屋(現太田家住宅)に滞在しており訪れました。

     写真(17)は、鞆の港のシンボルの「常夜灯」と雁木です。 

 

    写真(18)常夜灯から約100mのところにある太田家住宅

 万治2年(1659)大阪から鞆に移り住んだ「中村吉兵衛」が現・太田家住宅

で漢方薬酒の製造販売を始めた。(保命酒の起源)

 その後、18世紀中期に屋敷は増築され19世紀前半には、主屋敷地

1375m2と朝宗亭585m2に拡張・増築それている。 

 鞆の浦では、毎年2月中旬~3月中旬に「鞆・町並ひな祭」が開催され、

町家、商家、寺院など約100ケ所で「雛飾り」が見学できる。

 ここの「太田家住宅」にも多くの雛飾りがありましたが、玄関を入ると

すぐ「国内最大級と云う大きな雛飾りがあり驚きました。

   写真(19)の写真で、「享保雛」と云うそうです。

 享保年間に京で流行したそうです、大きさは小学生2~3年生ぐらい!! 

 

         (20) 七段の雛飾り

 

    (21)  大広間の床の間の雛飾り 

 

 都落ちの途中、当家で三条実美が「保命酒(竹の葉と云っている)」を

称えた歌を詠んでいる。

       " 世にならず 鞆の浦の竹の葉を

                 斯(か)くて 嘗(な)むるも 珍しの世や "

    写真(22)  中村家の保命酒製造の釜屋/19世紀前半

 

     写真(23) 東保命酒蔵、他に南、北の酒造もある。

 明治34年(1901)中村家は保命酒業を廃業して醸造法を開示した。

      明治36年、太田家が宅地、建物を所有する。

      太田家住宅は平成3年(1991) 国の重要文化財に指定される

      平成14年(2002)より一般公開された。

      

 

     写真(24) 鞆の浦の商家

  太田家住宅から北東約200mの所に昔の面影を残す商家です。

 江戸時代の後期の建築で当初は呉服店、後に船具店でした。

 

   写真(25)  元祖保命酒醸造元の入江豊三郎店舗

 保命酒は当初は、中村家の独占醸造だったが明治新体制の時、数軒

 の醸造元が誕生して、この入江豊三郎店は明治19年(1886)の創業で、

 現在は4軒の酒蔵がある。

 

   写真(26) 十六味保命酒、土産に一本購入しました。

  保命酒は、もち米を主原料とした甘口の酒に16種類の植物性の薬味

  を溶け込ませた、アルコール分14%の薬味酒です。

   今、封を切って飲みながら投稿しています。

 

   下図は、鞆の浦の概略図です。写真場所は(17)~(26)です。 

 

 <ご参考>

1)保命酒の16種類の薬味

 高麗人参、菊花、黄精、桂皮、クコ子、甘草、丁子、山椒などを浸けた

 後にろ過する。

2)保命酒は、江戸時代には備後福山藩の庇護を受けて備後の特産品

 として将軍の献上品、諸大名への贈答品などに使用され、朝鮮通信使 

 や頼山陽、ペリー提督一行の接待に使用され、バリ万博にも出展され

  たと云う。

3)都落ちの7人の公家(二卿五朝臣)

    三条実美   27才 従3位権中納言

    三条西季知 53才 正2位権中納言

    四条隆謌   36才 従4位上侍従

    東久世通禧 31才 正4位下左近衛権少将

    壬生基修   29才 従4位上修理権夫

    錦小路頼徳 27才 従4位上右馬頭

    澤 宣嘉   28才 正五位下主水正

4)三条実美(1837~1891)

        慶応3年太政官、明治4年(1871)太政大臣となる。

 

<参考資料>

    太田家住宅説明資料

    森本繫著 歴史紀行・鞆の浦

    Wikipedia  七卿落ち