豊前中津奥平藩の小畠代官所跡 | 史跡散策

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古代からの歴史や史跡散策が趣味です。
プロフィール写真は、備後・福山城

 旧備後国神石郡小畠(現・広島県神石郡神石高原町)にあった

豊前中津奥平藩の飛地(36村20,000石)小畠代官所跡を訪れた。

 現在は神石高原町の小畠支所の前にある「小畠代官所跡」の

文豪・井伏鱒二筆跡の記念碑です。 写真① 

 

 代官所の遺構は残っていません、写真②は代官所跡の北側

背後の「つつじヶ丘公園」より見た処です。 

 

 写真③、代官所跡の東約2kmにある、臨済宗能救山岩屋寺の本堂で

寺の由来書によれば永仁3年(1295)開闢と伝わる 

 

  写真④、岩屋寺山門は、明治維新の後に小畠代官所正門移築

 されたもので、蛙股に奥平氏の家紋「五階松の軍配団扇」と

 「澤瀉(おもがた)」が彫られている。 

 

   写真⑤ 五階松の軍配団扇 

   ⑥澤瀉 

 

  このお寺の御詠歌 

 " 寺の名も 岩屋と聞けば御仏の 誓いも固き しるしなりけり" 

 

 写真⑦、享保2年(1716)奥平藩の飛領となった以降は領主奥平氏

の祈願所となった亀山八幡神社鳥居とツガの大木

 

 写真⑧隋神門、この大注連縄は見事でした。

    写真⑨、幣殿の横からみた本殿です。 

 この神社は治暦元年(1065)京・石清水八幡宮より勧請され、

備後国の第2の神社で備後内8郡の祖神と云われていたと云う。 

 元弘の変(1331)の時、後醍醐天皇に味方した備後の武将・

桜山滋俊の一族が戦いに敗れた際に焼失した。 

 室町時代の地頭・馬屋原氏、江戸初期福山藩主の水野氏により

再建された。 

 

  写真⑩、背後から見た本殿 

 

  下図は中津奥平藩の小畠代官所跡などの概略位置図です。

 当時の備後国の中心部福山から北へ約34kmの地点です。

 写真、代官所周辺①②⑦~➉⑭、岩屋寺③~⑥、父木野⑪~⑬ 

 

  写真⑪、奥平藩領は合計36ケ村あり、その内、父木野(ちちきの)

 村の庄屋田村氏の屋敷跡(改築後ご子孫が住まわれている)

 

 備後国神石郡は、関ヶ原合戦後まず福島正則が備後・安芸を領し 

1619~1698は水野氏、徐封後は1717年に奥平領となるまでは

19年間天領でした、天領は年貢の定引の恩恵があったが1745年

に廃止され、農民が窮状していた、これを救うため父木野の庄屋

村田庄兵衛が越訴に及んだが3年入牢されたが罪一等を減じられ

解放の後に故郷の八つ塚で追放処分を受けた。

 奥平藩は実情をよく調べて1778年に定引制度(減税措置)を復活

させたと伝わる(減税は約3,100石)、写真⑫庄兵衛を称える記念碑 

 

 写真⑬ 旧庄屋村田邸の上にある曹洞宗法雲寺の一年前に再建

された山門です、小振りながら大変美しい。

 この法雲寺は甲斐恵林寺の快川和尚の弟子で甲斐武田氏一族

         (心頭滅却すれば火もまた涼しので有名な名僧)

法雲和尚は戦乱を逃れて当地に一寺を建立して法雲寺と名付た。 

 前途の庄屋家の村田氏も武田氏に仕えた信州岩村田城の名から 

村田を姓としたと伝わる。 

 

    写真⑭、八つ塚付近、右へ行く道が旧道らしい?!

 昔は重要人物や中津奥平藩の役人の送迎は領土境で行う。

罪人の処払いの追放も領土境で行っていた。

前述の庄屋・庄兵衛も帰国後ここで追放された。

 但し農民は恩人を密かに匿い生涯庇護したと云う。

      (奥平藩も正統な訴えを認めて黙視したのか?!) 

 

 

 <ご参考>

1)備後国内の中津奥平領は、神石郡22ケ村、甲奴郡12ケ村と

 安那郡2ケ村の合計36ケ村で石高は約20,000石高、代官所を

 神石郡小畠村に置いた。 甲奴郡にも近いし神石郡の領地の

 方が広い。

  また室町後期まで当時の神石郡有力領主馬屋原氏の本拠地

 が小畠にあり、神石郡の中心的位置にあった?!

  更に、小畠地区は平安時代から石清水八幡宮「志摩利の荘

 という荘園がありこの地区の中心だった。

2)代官所は現在の神石高原町小畠役場周辺5,700m2の広さです。 

3)代官所役人は、初めは代官、郷目付、郷方が豊前中津より出張

 っていたが、享保4年(1719)より大庄屋の村田氏など大庄屋が

 代官を務めた。大庄屋村田氏は先ほどの父木野出身の本家?!)  

       (代官の御手当 14石3人扶持= 約20石)

4)中津藩は、100,000石の所領の内、備後に20,000石、筑前怡土郡

  にも飛領があり管理が大変!!

5)代官所の背後には室町時代の馬屋原氏の本拠・固屋城が

 ありますが後報します。 

 

<参考資料>

    現地説明板、法雲寺のご住職のお話、

   松井正夫著、神石郡三和町散策、  

       森本繫著備後の歴史散歩(下)など