天正20年(1592)小早川隆景が新高山城の山麓の船木より三原城下の
現在地に移築した元竹原・小早川氏の菩提寺の曹洞宗東日山法常寺
を訪れました。 写真① 山門と本堂
写真② 山門
山門を潜ると参道がクランク状(小規模の桝形虎口)に曲げられて、
場所が三原城の西1kmにあり出城の感がある。
少し進むと参道の右側に小早川隆景公の小祠がある。写真③④
隆景公は豊臣政権において文禄4年(1595)五大老の一人に任じられ
従三位権中納言に任官したが、その後養子の小早川秀秋に筑前 37
萬石と家督を譲り三原城に隠居した。
慶長2(1597)年に三原城で病没した。
この法常寺で葬儀が行われ境内で荼毘に付されたと記録されたいる。
写真⑤ 本堂
写真⑥、西の丘より本堂(背後の森は三原八幡宮)
下図は、法常寺の位置でJR三原駅(三原城跡)の西約1km
写真①~⑥
<ご参考>
1)小早川隆景公は法常寺で荼毘のあと、ここから西約6.5kmの沼田東町
の小早川惣領家の沼田小早川氏の菩提寺・曹洞宗東蘆山米山寺の
墓地に葬られた。
2)法常寺は、沼田小早川茂平の4男・小早川政景が1258年に竹原庄の
地頭職を分与され竹原小早川氏の居城として竹原木村城を築城した
時、山麓の天台宗東日山法輪常転禅寺を曹洞宗東日山法常寺とし、
竹原小早川家の菩提寺とした。
3)第14代当主・竹原小早川隆景が惣領家の沼田小早川家を統合して
第17代当主・沼田小早川隆景となった後の1552年に新高山城山麓
の船木に移し、更に1592年に 三原城下の現在地に移築した。
<参考資料>
東日山法常寺誌
本郷町観光協会・新高山城跡