魏志倭人伝に記載されている斯馬国と思われる筑前国志摩郡(福岡県糸島市)の志登支石墓群をあいにくの雨でしたが、6年ぶりに訪れました。
弥生早期から中期の遺跡で10基の支石墓が昭和28年に調査されている
副葬品としては、打製石鏃、磨製石鏃が発見されている。
遺跡は、田圃の中にあり、写真①②は支石墓の天井石で、この天井石の下に石棺墓や甕棺墓がある。
写真③は、史跡碑です。
写真④は、現地の説明板です。
下図は、志登支石墓群の位置概略図ですが、JR筑紫線の波多江駅の北の約1kmの所にあります。
次の写真⑤は、志登支石墓群の場所から見た小雨の中の志摩郡の名山・可也山(365m)です。
次の写真は、翌朝am7:30の快晴の中の可也山です。
<ご参考>
1)支石墓は、数個の支石で大型の平たい石(天井石)を支え、
その下に石 棺墓や甕棺墓を埋葬した墓を云います。
2)支石墓は、全世界にあり、東アジアではBC1,500年ごろ中国の遼東半島で発生し、朝鮮半島に伝わり、半島全体では数万基あると云われている。
3)朝鮮半島北部では支石の高い「卓上支石墓」で、南部は支石の低い
「碁盤状支石墓」が分布している。
日本の支石墓は後者に属する。
4)日本では佐賀県唐津から糸島半島など北部九州に分布している。
<参考資料>
現地説明板、Wikipedia 支石墓