先に訪れた吉武高木遺跡から西へ約1kmのところの飯盛山の山麓に筑前国早良郡宗廟と云われる飯盛神社があります。
次の写真②は、吉武高木遺跡の「やよいの風公園」から山容の美しい霊峰飯盛山(382m)を見た処です。
下図は、飯盛山と飯盛神社の概略位置図です。
写真⑩は、飯盛神社の鳥居、⑪は拝殿、⑫は本殿です。
祭神は、伊邪那美命(女神) 両側に天照大神と月読大神を祀る。
写真⑬は、本殿の横にある神木の大楠
この神社の流鏑馬は「飯盛宮当流流鏑馬」と称し唐津藩小笠原家の小笠原流の式法を継いでいるそうで、その記念像がある。次の写真⑭
当日は、月曜日だったが出店もあり七五三詣での人が多かった。
社務所で神社の由来書を頂き、お話を伺うと飯盛山の中腹に須佐之男命の御子の五十猛命を祀る中宮社があり名水が美味しく車でも行けるとのことで詣でました。写真⑮⑯、平成14年に650年ぶりに再興されたと。
次の写真は、中宮社の鳥居前の紅葉です。
ここに来るまでの山道にも紅葉が植樹してあった。
<ご参考>
1)社伝では、天孫降臨の時、瓊瓊杵尊に従って随伴した天の太玉命が日向峠(ヒナタ)と飯盛山に伊邪那美命と外2柱を祀った事が始まりと云う
2)現在の社殿の建立は、清和天皇の859年で、その後戦火により灰燼と帰すが江戸時代・福岡藩二代・忠之が再建に援助したと伝わる。
3)大宝律令制定(701年)ごろは平群氏(ヘグリ)が当地を支配していた?!
4)中世に宝満大神(玉依姫命)と八幡大神が合祀された。
5)飯盛山は姿が良く、私が住んでいた福岡市内の高台からもよく見えて、特に夕日に映える山容、冬の季節に時々雪化粧した姿が記憶に残っています。 なお、飯盛神社への参拝は6年ぶり二回目です。
<参考資料>
飯盛神社発行 : 飯盛宮由緒と飯盛宮神事由来記