連日猛暑が続き台風10号通過後、秋雨前線で少し気温が下がって今日は朝から雨です。
2017-1-1からAmebaに投稿を始めてより丁度今回で100回目です。 何時もご訪問下さりありがとうございます。
現在住んでおります広島県福山市周辺の旧・備後国、備中国そして生誕地・福岡市(筑前国)を中心に主に寺社や史跡に関し散策しています。
今回は、拙宅の北約10kmの備中国後月郡縣主郷(岡山県井原市)を訪れました。(シヅキグンアガタヌシゴウ)
ここは田園が美しく春夏秋冬何度も訪れています。
写真①旧・縣主郷(現・井原市門田町)の田園風景
付近まで車で来て1~2Hr散歩しておりますが、ここの住民の方は茶目っ気の愉快方が多いと見えて道路脇に人形が迎えてくれます。
写真②、③、自転車に乗る人形で遠くから見ると人と間違えるほどの出来栄えです、他にも沢山あります。
写真④、田園の南の丘に地蔵尊を祀る茶堂があり以前訪れ時、近所の人が奉納された「人生いろいろ」と題する奉納額がありました。
そこに12句が奉納されていました。
①生きている 証を知らす 賀状かな
②万薬に 優れる家族の 笑う声
③幸せは 自分の心の 中にいる
④ぼけないで 八十路の坂を 一歩づつ
⑤ふる里へ 二度と帰らぬ 川の水
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⑪七転八起 やがて芽の出る 春を待つ
⑫出会いあり 別れ覚悟の 世の定め
今回は、実は⑤の句が人生や歴史やいろんな出来事を上手く表現されており一番気に入っている句で、この茶堂の下の小川から川の流れを尋ねる事にしました。
下図は、旧・縣主郷の付近と撮影位置です。
縣主郷は旧山陽道(国道486)南の小田川の右岸にあります。
写真⑤、茶堂のすぐ下を流れる田圃の中の小川、写真の奥の建物の所で5km西南方向の備後国(広島県福山)の国境の上稲木の山間部(標高100~150m)から流れてくる稲木川に合流する。
写真⑥、合流后約1km東流すると縣主神社の前に出る、川幅が少し広くなってきた。
写真⑦、稲木川の右岸の丘に若吉備津彦から4代目 の「笠臣の祖」の鴨別命を主祭神とした縣主神社がある。(現・井原市木ノ子町)
創建時期は不詳ですが雄略天皇の御世と云われている(在位418~479)
写真⑧、本殿(左)と拝殿
写真⑨、御賽銭箱の上の三宝の獅子舞で賽銭をあげると雅楽が鳴り始め左右に獅子が踊り、驚きましたがしかし可愛い!!
ここの神主さんは、アイデアマンでいろんな催しを開催されています。
この神社は、「鴨別命」が稲木川と小田川の合流付近で
田を荒らしたり人のちを吸う蛟(みずち、水中に棲み蛇に似た生物)を退治したことより住民が感謝して祀ったと伝わる。
写真⑩、小田川に合流直前の稲木川
写真⑪、県主神社の下流約3kmで小田川に合流する。
左側の水路が稲木川、中央が小田川の本流
写真⑫、この合流点から北側を見ると対岸に戦国武将・伊勢新九郎(後の北条早雲)の育った高越山城(正面中央奥の山172m)がある。
旧山陽道は、この山麓を通っていた。
小田川は、この後約20km流れると昨年7月洪水に見舞われた倉敷市真備町に達し高梁川に合流して瀬戸内海へ小川が大河となって海に灌ぐ。
<ご参考>
1、平安時代後月郡には、安加多(縣主)郷を初め荏原、出部(いずえ)足次(あすわ)、駅家(うまや)の5郷があった。
2、記紀によれば、「鴨別命」は吉備武彦命」の子で姉の吉備穴戸武媛は日本武尊の紀、妹の兄媛は応神天皇の後宮で大和朝廷とは関係が深い
3、「鴨別命」が応神天皇の吉備巡幸の時、加佐目山で狩に供した時に天皇の笠が風で飛ばされたことを大猟の兆しと予言して的中したことが縁で「波区芸縣」と「賀佐(笠)」の臣を賜ったと伝わっている。
<参考資料>
現地の説明板
平成3年発行、史談いばら特別号
河出書房新社、古事記 国土地理1/25,000図