筑前、怡土郡の平原遺跡/最大の銅鏡出土 | 史跡散策

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プロフィール写真は、備後・福山城

 福岡県糸島市(筑前国怡土郡)の平原遺跡を訪れるました。2度目です。

怡土(いと)郡は魏志倭人伝の「伊都国」のことと云われているが、昭和

40年に農家の密柑の苗木を植える作業中に偶然発見後、調査されて

昭和57年に国史跡に指定された平原遺跡がある。

    写真①平原遺跡碑

      ①遺跡碑

 平原遺跡の位置は、弥生早期から弥生後期後半に栄えた伊都国に

比定される川原川と瑞梅寺川に挟まれた三雲・井原地区から約1km西

にある。 -- 下図参照

 

 この付近は昔から「つかばたけ」と呼ばれていたそうで、今は農地に

なっておりこの奥に墳丘墓がある。 写真②

  ②塚畑

 ③は平原遺跡の1号墳丘墓の近景、④は1号墳丘墓、平原遺跡は

弥生後期後半(AD180)~弥生終期(AD250)頃の遺跡と云われている。

 ③ 墳丘墓近景

  ④ 一号墳丘墓

 写真⑤は、平原遺跡から見た志摩郡の可也山365mで美しい山姿を

しており、筑紫富士と呼ばれている。

  ⑤ 筑紫富士

 写真⑥は、平原遺跡の東側の高祖山(416m中央の高い山)と右側の

日向峠(ひなた峠、一番低い部分で約200mの標高)を見る。

この高祖山の右の峰を昔はクシフル峰と言っていたという。

 

 この日向峠の東側には日向川や小字の日向と云う地名が残っており

記紀に云う「筑紫の日向」とは宮崎県ではなく、ここであるとの論もある。

  ⑥ 日向峠方面

 

  下図は平原遺跡の墳丘墓と日向峠との位置関係などを示す。

       

 埋葬者は、頭を西にして日向峠から太陽が出る方に足を向けて

更に、墳丘墓の西に一の鳥居、東に大柱を立てた穴が発見されて

おり朝日を強く意識した配置になっている。

 

 出土品は、日本最大の銅鏡(46.5cm)5面など多く国宝に指定された。

その他、埋葬品は鉄の太刀1本以外は、銅鏡40枚(日本最大数)、勾玉、

ガラス玉が多数出土しており、かなり身分の高い女性だと推定されて、

発掘調査者の原田大六氏は神武天皇の母君の玉依姫ではないかと

云われている。

 

 確かに、玉依姫は、高祖神社、産宮神社、宇美八幡宮、太祖神社

など糸島市周辺の神社で多く祀られいてる!!

 

 写真⑦は筑前の怡土郡と早良郡の群境の日向峠で前回の5年前に

比べて雑草が多く糸島平野がよく見えなかったので写真⑧は以前の

写真を使った。 ⑧の右の高い山が高祖山です、

  ⑦ 日向峠

  ⑧ 日向峠より糸島

 

 5年ぶり2度目の訪問でしたが多少の予備知識がありましたので楽し

かった、時間の都合で今回見過ごした遺跡を含め今一度訪れたい。

 

 <参考資料>

 伊都国歴史博物館、伊都国の王都を探る

 学生社、原田大六、実在した神話

 伊都国歴史博物館を見学