史跡散策

史跡散策

古代からの歴史や史跡散策が趣味です。
プロフィール写真は、備後・福山城

 島根県松江市大庭町の岡田山古墳群の高台にあり1972年に

 全国で6番目に設置された風土記の丘施設です。

 近くにの八重垣神社、神魂神社や出雲国府址には20年ほど

前に訪れましたがここは今回が初めてです。

 最初の写真は展示学習館(歴史博物館)の建物です。

        

 次の写真は展示学習館の北側に設置された復元の古代住居

掘立柱建物と奥は竪穴式建物です。

 岡田山一号墳は右奥に見える小高い丘です。

         

  当歴史博物館は、主に岡田山一号墳の出土品や古墳時代の

 埴輪窯跡の平所遺跡から出土した埴輪が展示してある。

  岡田山一号墳の出土品については前報で一部を記しましたが

 次の出雲特有の子持壺は再載します。 左は円筒埴輪

 

  次の3葉は平所遺跡から発見された埴輪です。

 最初は「見返り鹿}と云われる珍しく可愛い鹿の埴輪です。

       重要文化財に指定されている。

       

 次は馬形埴輪

 

 次は家形埴輪です。

 

 平所遺跡は窯元の遺跡でこれらの製品をどこの古墳に納める

予定だったかは不明です。

 平所遺跡は東出雲の霊山・茶臼山171mの東側山麓に在った。

 下図は八雲立つ風土記の丘の位置ですがJR松江駅の南5km

 出雲国府址の西1km、神魂神社神社の東500mに有ります。 

 

 

 

 

 出雲国の熊野大社を訪れました。

 最初の写真は境内の前を流れる意宇川(おうかわ)にかかる神橋と

奥は三の鳥居です。

 

 三の鳥居をくぐり手水舎でお清めして進むと隋神門です。

 正面奥に拝殿、右側に舞殿が見えます。

      小雨の日でカメラレンズに水分が付着して見にくくて!!

              次の写真は拝殿の右手前にある舞殿で、元は拝殿だったが1978年

に舞殿として移築された。

 次の写真は拝殿で奥に本殿がある。

           本殿は大社造りで1948年の再建

 

 祭神は、伊邪那岐日真名子(いざなぎのひこなご)で現在は

「素戔嗚尊」の別名となっている。

 

 次の写真は拝殿の左にある鑚火(さんか)殿

毎年10/15に火鑚杵と火鑚臼によって神火を起し神殿に捧げる

鑚火祭りかせ行われている。

 「日本火出初之社」と云われる所以です。

 出雲大社の「古伝新嘗祭」では、火を起すために火鑚杵と

火鑚臼を出雲大社の国造が自ら受け取る時、持参する餅を

めぐって「亀太夫神事」なるものがあるそうです。

 次の写真は本殿の右にある稲田姫を祀る稲田神社です。

 

 下図は熊野大社の位置です、JR松江駅の南8km、元出雲国府

 の南西5kmの地点の意宇川の上流に有ります。

 

 

<参考>

➀神階851年従3位、867年正2位勲7等(日本三大実録)

②古代は、熊野大社は出雲大社より格上だった様です。

②紀伊國の熊野大社の関係は不詳

③社の格、式内社・名神大社、出雲一宮、近世は国幣大社

④熊野大社の前には八雲温泉の熊野館が有り以前訪れた時

 には一泊しました。(約15年前)

   今回は昼食に「出雲ソバ」食べました。

 

 今年最初の投稿です。

 おめでとうございます!本年もよろしくお願いします。

 

 

 

 松江市大草町の出雲国風土記の丘にある岡田山一号墳

初めて訪れました。

岡田山古墳群は7基有り一号墳は前方後円墳、他に円墳1基、

方墳2基、箱式石棺3基が存在し1915年に発見されて1970年に

風土記の丘が整備された時に発掘調査が行われた。

 最初の写真は外観で、墳長47mの小型の前方後円墳です。

 

  次は石室の入口

 築造時期は古墳時代の6世紀後半と推定されている。

 

 次は石室内部です。

  通常は施錠されているが風土記の丘の展示館の係員の方に

  ご案内頂いた。

 

 次は石室の埋葬状況の推定復元図(一号墳説明資料より) 

 石室は全長5.6mの横穴式組合式家形石棺で 

 副葬品は、内行花文鏡、装飾付太刀4本、鉄鏃、刀子、空玉

   耳環、子持ち壺、円筒埴輪、馬具などが出土した。 

 1983年に1本の太刀から銀象嵌銘「額田部臣」の銘文が発見

 されて、埋葬者は額田部の首長と推定されている。

 次の写真は、銀象嵌の太刀と子持ち壺です。

  子持ち壺は山陰地区の特有の土器だそうです。

   風土記の丘展示館に展示してある。    

 

  次の写真は馬具の出土品で風土記の丘の展示館に展示

 

 次図は出雲国風土記の丘の案内図で岡田山一号古墳は右上の

 処に有る。

 JR松江駅の南約5km、古代の出雲国府跡の西約1kmの地点

 

  6世紀後半の東出雲の社会構造は大和政権の支配のもとに

  出雲国造の出雲臣と部民の額田部連の2体制だったと推定

  されている。

 

 <参考資料>

      県教育委員会:岡田山一号墳、風土記の丘の展示品の説明

 展示館の係員の方のご説明