以前、読者のqtwqr様にご提供頂いた懐かしい写真を公開いたします。
「陣屋のシイ」をご存知でしょうか?
打吹公園へ向かう市役所西側にある登り坂の最初のあたりにある椎の木です。写真には写っていませんが隣には「成徳のイチョウ」とよばれる大木もあります。打吹小学校(旧成徳小)の敷地にあるこの樹木は「倉吉市指定保存樹」となっている重要な樹木です。
これは成徳小がこの地を治めた池田藩家老の荒尾氏の陣屋跡に建てられたことによるもので、樹齢は300年以上と言われています。となりの「成徳のイチョウ」は樹齢100年近くで、明治時代に植樹されたものです。
昭和30年代まで地域のシンボルとして威容を誇っていた「白亜の殿堂」時代の門柱が写っていますが、これがあるということはここが正門なわけです。地下道下足場近くの出入り口は正門ではないですが、ほとんどの生徒が登下校で利用していましたし、みんな勘違いしていましたね。
ただ、市役所側が正門ですと言ったって、門を入ってみれば体育館の前ですし、校舎の裏側で足洗い場があったりして、とても正門の雰囲気ではありませんでした。
体育館の前の広場は、この椎の木があることから「椎の木園」と呼ばれていました。現在ではアスファルト舗装された駐車場になっていますが、昔は生徒が上に乗れるくらいの岩石が庭園のように並べてあり、さながら和風庭園のような趣でした。
元気だった成徳の男子も椎の木には登らなかったと記憶しています。由緒ある椎の木だということに加え、万が一大きな損傷が出来たら一大事ですから、担任からきつく釘を刺されていたような覚えがありますが、どうだったかな。
この場所の画像は少ないでしょうね、貴重です。その昔「新校舎」と呼ばれていた校舎の北側の広場です。
雑草だらけの状態になっていますが、ボクが在校時には花壇というかお花畑になっていました。よく覚えているのは、ケイトウの花が咲くころにここで写生するんですよね。北向きで、しかも校舎の陰になっていて日当たりが悪かったですね。
ガスボンベが写っていますが家庭科室でもあったんでしょうか?ボクらの時代の家庭科室は木造の西校舎手前のコンクリートの部屋でした。昔は給食室として使われていたそうです。
この松の木が、大正天皇ご即位を記念して植樹された「多行松(たぎょうしょう)」ですかね。数本植えられていて、とんでもない高さになっていたと記憶しています。
写っているコンクリートの階段は、ちょうど校舎内の地下に下りる階段のところのドアを開けてここに出ることが出来ました。
この風景はもう見ることが出来ませんが、じっと見ていると、そして静かに目を閉じればあの時代の思い出がよみがえり、ちょっぴり切なくなります。