Back To The 昭和な倉吉 東町編(2) | クラクラ倉吉 目が回りますね

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京都市在住の元倉吉市民です。いつに間にか大きく変貌してしまった生まれ故郷を、覚えているうちに記録しておきたいおっさんブログ(^^♪

ブログにお越しくださった倉吉在住の方、倉吉に何らかのご縁がある方などみなさまのご協力を頂き、今では消滅してしまったり、令和の現在でも現役だったりする昭和時代の懐かしい通りや建物を、思い出すことのできる引き出しが開けられるうちに記録しておく当ブログの柱「昭和な倉吉シリーズ」。

 

 ボクが倉吉に在住していた頃(昭和57年頃)までの記憶が頼りですので、それ以降の出来事についてはほとんど何も知りません。場所によっては10年程度で複数回店名が変わったり、などということもあり、間違いなく同じ場所なのに人によって記憶が違うことはよくあることです。

 

 正確なことが判ればもちろん良いのですが、記憶違いや思い込みなどは誰にでもよくあることで、それをネタにワイワイやるのもまた一興。どうぞ、新たな情報などありましたら、お気軽にお寄せください。

 

出典グーグルマップ

 東町には同級生の家が多いです。10人以上います。考えてみたら一つの町内に同級生が二けた以上いるというのも、倉吉の現状から見るとすごいことですよね。単純に中学時代の同級生が200人以上。あれから半世紀近く経ち多くが倉吉を離れて、さて同級生の何パーセントが倉吉に住んでいるのか。

 

1,「タバコ屋さん」2,「天ぷら 志ぐれ」3,「牧田医院」4,「倉吉図書館」5,「クリーニング店」6,「銭湯 東湯」7,「東伯印刷所」8,「浦島診療所」9,「食料品店」という結果に、、、

さて皆さんのご記憶ではどうなんでしょうか。

 

出典グーグルマップ

 この道の先には市役所第二庁舎があります。そして右側のヤマト運輸の看板がある家は、ちゃんと覚えています。タバコ屋さんです。昔の画像に切り替えると、、、

 

出典グーグルマップ

通学でも遊びでも、まあ何年も歩いた場所ですからね。それにしても街のタバコ屋さんは本当に少なくなりましたね。喫煙者の減少とコンビニ販売ですね。

 


出典グーグルマップ

 天ぷら「志ぐれ」さん。目の前で揚げてくれた天ぷらを食べられるという、聞いただけで美味しそうなお店。記憶ではボクが中学生の頃(昭和50年代初め)には、開業しておられたと思います。現在も変わらず商いをなさっておられるようですが、もう半世紀かそれ以上の歴史があるんですね。素晴らしい。

 ええっと、牧田医院さんはどこだったかなと、、、

 

出典グーグルマップ

 画像を少し昔の物にしてみれば、、、ありました。

 

出典グーグルマップ

 昭和の頃の街のお医者さんの雰囲気がありますよね。お世話になったことはありませんが、まあ、よく覚えているお医者さんです。

 

出典グーグルマップ

 その隣が倉吉市立図書館。現在は東町公民館のようです。

 

出典グーグルマップ

 生ビールの看板でもあれば居酒屋さんと間違えそうな外観です。いつ頃無くなったんですかね。ボクがこの図書館をよく利用していたのは小学生の頃で昭和40年代半ばから後半。その当時ですでに古い建物でしたから、元は違う使われ方をしていたんですかね。

 小学〇年生とかゆるーい雑誌も置いてあったので、子供がよく利用していました。建物手前が少し広くなっていて、奥の方に玄関がありました。

 

出典グーグルマップ

 そのまた隣には同級生の「Fくん」の家があって、小学生の頃下校途中に寄ってはエポックの野球盤で遊んでいました。懐かしい。

 

 出典グーグルマップ

 その向かいに「東町」の小さな緑色のプレート。どうやらここが荒神町との境のようです。

 

出典グーグルマップ

 さて、今回の起点のタバコ屋さんに戻ってきました。北に向かって進みましたが今度は東側方向、湊町に向かって移動してみます。右手にしゃれたアパートがありますが、その昔は、、、

 

出典グーグルマップ

 こんなガレージです。これ、ボクが小学生の頃と何ら変わっていません。小中と一度も同じクラスになったことはありませんが、同級生「Tくん」の家の近くですね。このガレージの中でボクとTくんがしゃべったのを覚えています。一度も同じクラスになったことはなく、顔見知り程度だったTくんと、、、?もちろんTくんは覚えていないでしょう。変なことがなぜか強く印象に残ることって多いですね。

 


出典グーグルマップ

 左側の空き地は銭湯の「東湯」。市内の銭湯の状況はどうなっているんでしょうか?おそらく絶滅一歩手前のような気がしますが、それまでの利用者の方はどうされたんですかね。

 

出典グーグルマップ

 電柱のそばが「東伯印刷所」さん。もう半世紀以上昔から、記憶に深く刻まれている建物。特に何かがあったわけではないですが、子供の頃にガラス越しに見える中の様子が何となく記憶に残っています。

 

出典グーグルマップ

 その東隣が「浦島診療所」。子供の心には「うらしま」という響きがインパクト絶大で、本当にうらしまさんっているんだ、、、みたいな。東伯印刷さんとセットで、涙が出そうになるくらい小学生時代がフラッシュバックします。

 

出典グーグルマップ

 そこから少し東に歩くと北側に路地が、、、残念ながらグーグルの撮影車は狭くて入れないので、この奥の様子を見ることは出来ませんが、ここはよく通りました。荒神町の「ニシ美容室」のところに出ますが、ショートカット(ほんのわずかですが)できるのがうれしくて、ということですね。この先が左カーブになっているんですが、そのカーブの頂点から玉川に抜ける細い通路があって、そこから廃車置き場へ行ったものです。

 

出典グーグルマップ

 湊町との境です。右側の白い建物が食料品店でした。記憶に間違いが無ければ、昭和48か49年に開業されたんじゃないでしょうか。至る所にこういうお店があって、ちょっとした買い物には困りませんでしたね。もちろん夜の7時か8時にはお店が閉まっちゃいますが。

 

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 お願いがあります。

もしよろしければ、みなさまお持ちの倉吉の昔の写真を送っていただけないでしょうか?昭和時代の写真で「昔はこんなんだったよ」みたいなものがあれば嬉しいです。

平成に入ってからの写真でも、今は無くなってしまった建物など写っていたら大歓迎です。

特別なものが写っていなくても結構です。普通のありきたりな通りの様子とか、また「品物の写真」でもOKです。「昭和な倉吉を思い出させる品物」「倉吉に限らず昭和チックな物品」の写真があれば最高です。

送っていただいたお写真は、当ブログに掲載しますので、個人が特定されるもの特に「人物の顔」などは消していただけると助かりますが、こちらでも「消しが甘いな」「消し忘れ発見」の際はきちんと処理させていただきます。また「消すのは面倒だし、そっちでやって」ということでもOKです。その場合はあらかじめ掲載前に投稿者様に対して「こういう感じで掲載します」とお見せして投稿者様のOKが出たら掲載いたします。

お写真に対しましてのお礼は何も出来ないという厚かましさですが、お気が向かれましたらよろしくお願いいたします。

ご連絡はこちらまでchikuwanokuisasi@yahoo.co.jp

 

 

 

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