保津峡から高雄へ | 昼下がりのビンカミノール

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新コロナ禍で自粛生活のつれづれに、思いつくままブログに書いています。
友人たちも時々投稿して楽しんでくれています。
観点が異なるので、多重人格と思われるかもしれませんが、
大丈夫です。
安心してください。

 JR京都駅で友人たちと待ち合わせ、嵯峨野線に乗り込みました。

 嵯峨野線に乗り暫くすると、右の車窓に比叡山が見えてきます。

 円町辺りで左に大きくカーブするので、今度は右の車窓には愛宕山が見えてきます。

 

 愛宕山の頂上はコブのような丸い頂です。

 これは昔、比叡山と愛宕山がどちらが高いか背比べをした時に、何度測りなおしても決着がつかず、到頭けんかになり比叡山が愛宕山の頭をポカリと叩いたそうです。

 その時愛宕山にコブが出来、その分愛宕山が高くなり決着がついたということです。

 

 電車はトンネルに入り、出たところがJR保津峡の駅です。

 この駅は保津川に架かる高架の上にあり、駅のはるか下には保津川が流れています。

 

 

 

 

 

 50代から80代まで各年代の昔の若者4人でのハイキングです。

 

 保津峡の駅を出ると保津川を渡る赤い橋があります。

 

 

 

 橋を渡り右手に折れて落合橋を目指します。

 

 

 

 左に行くと水尾に行きます。

 水尾は柚子の里として有名で、民家で柚子鍋をいただくことが出来ます。柚子鍋の前に柚子風呂に入るのが楽しみで、常連のお客が多いようです。

 水尾は愛宕山の下山口(登山口)にもなっており、愛宕山山頂の愛宕神社にお詣りした後柚子風呂を浴びて柚子鍋をいただくのも一興です。

 水尾には清和天皇の陵墓があります。清和天皇は水尾の自然をこよなく愛し、そこに居を定め水尾天皇とも呼ばれました。

 

 右手に折れ暫く行くと愛宕山へと続くつつじ尾根の登り口があります。

 

 そこを過ぎて5分ほど歩くと、トロッコの保津峡駅があります。

 

 

 

 更に10分ほど歩くと落合橋に出ます。

 

 

 

 落合橋の袂には、松尾芭蕉の句碑があります。

 

 

 

 

  (清滝や波に散り込青松葉 芭蕉)

 

 落合橋を渡ると左手に清滝川への降り口があります。

 清滝川に降りるとコンクリートの橋があり、そこを渡ると京都一周トレイルの道になります。

 

 

 

 

 

 この道は昔は落合の人々が米を買いに通った道のようで、米買道と呼ばれていました。

 

 

 

 清滝川の右岸をそのまま清滝まで遡って行きます。

 所々岩肌を登ったり下りたりするところがあり、少し注意が必要ですが、沢登りの感触を満喫できます。

 

 

 

 

 

 

 

 一時間ほどで清滝の渡猿橋が見えてきます。

 

 

 

 ここには芭蕉の句碑とともに与謝野晶子の歌碑も建っています。

 

 

  (ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清滝夜の明けやすき 晶子)

 

 渡猿橋を渡り、愛宕神社の参道を登り二の鳥居を過ぎると、高雄への道に入ります。

 

 右岸沿いの道を30分程登って行くと、左岸に渡る橋があります。

 そこの河原が比較的広いので昼食を摂ることにしました。

 

 思い思いの石を見つけそれに腰を落ち着けます。

 マイペースの四人らしく、2~3mの距離を置いて座り各自のお弁当を開きます。

 

 その先には両側に杉の立ち並ぶ素敵な杉林を通ります。

 

 

 

 そこから高雄までは20分程で、途中柱状節理の岩肌が見えました。

 

 

 

 小さなダムを越えたところが高雄です。

 

 

 

 折角高雄まで来たので、神護寺にお詣りすることにしました。

 長い石段を登りようやく神護寺に到着です。

 

 

 

 神護寺は平安京造営の最高責任者であった和気清麻呂(わけのきよまろ)が高雄山寺を開いたのが最初で、弘法大師や伝教大師も入山され、真言密教の中心的役割を果たしてきました。

 

 金堂にお参りして、かわらけ投げをやりました。

 

 

  (金堂)

 

 素焼きの平べったい皿であるかわらけを眼下に流れる清滝川に向かって投げるのです。

 上手に投げると100mほども断崖を清滝川に向かって飛んでゆくそうですが、往年の若者はそこまでは飛ばせません。

 

 

 (神護寺から眼下の清滝川)

 今通ってきた道が右上の方に見えます。

 

 途中休憩を入れても三時間ほどのハイキングで、紅葉前の清滝川を満喫できた一日でした。