一つ、人の世生き血をすすり
二つ、ふらちな悪行三昧
三つ、みにくい浮世の鬼を
退治てくれよう桃太郎
これは、高橋英樹さんの当たり役ともなった時代劇「桃太郎侍」で、桃太郎が終盤に口にする数え歌です。
数え歌とともに華麗な立ち回りで剣を振り、天に代わって悪人どもを成敗していきます。
この桃太郎が「桃から生まれた桃太郎」と名乗りのシーンで掛けているのは、「般若」と言う能面です。
(桃の花)
凄まじい形相をした女性を般若のような顔と言いますが、能面「般若」は嫉妬や怒りが極限に達した時に、女性が化生した怨霊面です。
二本の角を持ち、眉間をしかめ、結膜は金色。口は大きく、二対の牙を持っています。
この特徴を聞くと、恐ろし異形の者が想像されます。
しかし、眉は薄く弱々しく描くことで、目より上には深い悲しみ、目より下には強い怒りを表し、心境の二面性を一つの面(おもて)の中で表現しています。
(白般若 面)
能では三鬼女と言われる、「道成寺」「葵上」「黒塚(安達原 観世流でのみ)」などでこの面が用いられます。
どの演目も最初から鬼や怨霊だったのではなく、そうならざるを得なかった切ない女性の物語です。
「般若」とは本来「真理を見抜く仏の智慧」を意味する言葉です。
なのにどうしてこのような恐ろしい鬼女の面を「般若」と呼ぶのでしょうか?
調べていくと諸説あるようですが、いずれの説も「仏の智慧」にすがることで、怒りや悩みや苦しみから救われようとする姿を捉えているように感じます。
「般若」の面には、怨み、怒りだけでなく、嘆き、悲しみ、恥ずかしさ、そして、救いを求める複雑な心の内が彫り込まれているように思えます。
(能 道成寺)
人には利き顔があり、顔も完全な左右対称ではありませんが、能面も非対称で打たれています。
「般若」の面は右の横顔は厳しく、左のそれはやや穏やかに見えるように工夫されているとも言われています。
無表情な人を能面のような人と言いますが、実際に能を拝見すると、面は豊かな表情を見せてくれることに驚きます。
面を打つ時の工夫だけでなく、光の当たり具合、観客の感情移入、そして、一番は能楽師の技によるもの。面の内の彼らの呼吸や、僅かな頭の上下の動き、角度によって表情が変わります。
「般若」も然り。上を向く(照らす)と怒りが爆発したように見え、下を向く(曇らす)と怒りを抑えたように見えます。
「般若」の面を掛け、もしも、うんうんと頷いたら、恐ろしさは消え、なんだかとても情けなくて、いじらしく見えてくるから不思議です。
顔の印象は造作だけでなく、心のうちや生き様が表に出るのだとしたら、自分がどんな表情を見せているのか。
決して直接に見ることは出来ない自分の顔や横顔が気になるところです。