母が倒れてからの私はずっと後悔ばかりしている。

 

母は去年の夏から体調を崩していた。

きっかけは姉夫婦の長男が友人を連れて帰省するというので

母がひとりで布団の準備をしたこと。

その無理が祟り、数日後の朝に自力で起き上がることが出来なくなった。
 

同じ時期に時々物の名前が出ない事があり、心配になって姉に話したが

「いつものことよ」と言われた。

 

足腰の状態は徐々によくなり、以前ほどではないが歩けるようになった。

でも、物の名前が出てこない状況は続いていた。

 

結局、整形外科1件、脳神経内科1件、脳神経外科2件を受診し

2ヶ月間ほどの間に3回の脳MRIを撮ったけれど

大きな異常は見つからなかった。

 

私が付き添い11/15に受診したJ病院(現在、入院中)では、

「首の後ろの静脈の先がはっきり映っていないが、86歳という

年齢を考えるとカテーテル手術をするほどでもないでしょう。

3か月後にまたMRIを撮りましょう。」と言われた。

 

その後も母は言葉が出にくくなったことをとても不安に思っていた。

私もはっきりとした原因が分からず、もやもやしていたので

「物忘れ外来に連れて行ってあげたほうがいい」と姉に言ったが

連れて行ってはくれなかった。

私は姉との温度差を感じた。

 

私は母にすぐにでもうちに来て年末年始をこっちで過ごすよう話したが

母は正月明けに行くときかなかった。

 


あの時、

姉をあてにせず私が母を他の病院に連れて行っていれば…

J病院でカテーテル手術をしていれば…

無理矢理にでもこっちに連れて来ていれば…

母は脳出血にならなかったのかもしれない。

 

 

母が倒れた後、実家に行くと床の間の座卓の上に

着替えやストールが揃えられていた。

母は年明けにうちに来る準備をはじめていた。

 

お母さん、だいぶ遅れてしまったけどうちに来ようね。

みんな待ってるからね。