こんにちは、たえです。
最近、知り合いから聞いて、やけに納得した言葉があります。
「人は100%死ぬ」
この言葉を事あるごとに思いだしているうちに、ウツから抜けることができました。
当たり前のことだけれど、人は必ず死にます。
死なない人はいません。
しかし、人はこの事実を受け取ろうとしません。
明日もあさっても、当然に生きていると思っています。
死は別次元のもの、自分は死なないと思って生きています。
でも、人は100%死にます。
100%死ぬなら、なぜ生まれてきたんでしょう。
自分の命は、なにを成すために、この世に存在するのか?
そのことを、ちゃんと考えて日々を過ごすべきだと思います。
答えはすぐには出ません。
しかし、言えることは、必ず理由があって生まれてきたということです。
必要だから、生れてきました。
他ではない、この自分として。
この体、この性格、この親、この日本に、生れてきた。
自分の特性を知り、それを十分に生かす。
自分のままに生きること。
それができれば、人に貢献できるし、自分も満足した人生を送れます。
自分は、何ができて、何が好きで、何に興味があり、何をしたいのか?
自分に夢中になって、興味のおもむくまま、心に従って生きていく。
単純にそれを繰り返すだけで、いい方向に進んでいきます。
この春に中学に入学した息子は、部活を決められずにいました。
旦那は「運動系の部活、バスケがいいんじゃないか」と、こどもに勧めていました。
理由は身長が伸びる、体力がつく、集団行動で協調性をはぐくむ・・
言ってることは分かりますが、人には得意不得意、好き嫌いがあります。
この12年間、息子は父親の言う通り、4歳からピアノ、水泳を習い、小4から塾に通い中学受験をしました。
受験が終わったかと思うと、今度は部活を何にするかを指示してきました。
指示、、嫌な言葉ですが、はたから見ると、そう見えます。
息子は、父親がすすめる「バスケ」でもいいか、、と話していました。
けど、なかなか決断できずにいました。
「GWが終わったけど、部活決めなくていいの?」と私が聞くと、息子は苦悩の表情を浮かべました。
「自分の人生なんだから、自分の好きなものにしなさい」と、私が言うと、
「理科部にする」と、ポソっと言いました。
これが彼の本音でした。
旦那は「運動系の部活を」と入学前から話していたので、
息子が文科系の部活を選んだことで、旦那は半分怒った様子になりました。
「いいけど、自分で運動するんだぞ」と言いました。
自分の気持ちが言えた瞬間、こどもの顔がほころんだように見えました。
言えてよかった。
これからも、言えるようになってほしい。
人の機嫌を取って生きていては、自分の人生は生きられません。
自分の人生を生きられないなんて、自分の命に対する冒涜です。
大げさだと思われるでしょうけど、
でも、そのくらい、自分の気持ちは大切なものです。
私は、自分の気持ちより親の気持ちを優先して生きてきました。
とても後悔しています。
自分の意思、気持ち、感覚を大切にしないでいると、いろんなことが狂ってきます。
私は体験済みなので、はっきりそう断言できます。
自分を生きる。
自分の感覚を受け取り、それを指針に行動する。
他人軸はやめて、自分軸にするだけで、人生は好転していきます。
「人は100%死ぬ」
何かにブレた時、気が落ちている時、この言葉を思い出してください。
この命の使い道を考えた時、今自分は何をすべきかに考えが及ぶでしょう。