☆ 主 は 変 わ っ て も 

                   そ こ に 咲 く  桜 の 花

 

 

 *天 下 一 ・高 遠(たかとう) の 桜  (伊那市)

 

  高遠城址 1500本の「コヒガンザクラ」

    その美しさと南アルプスを望む眺望は ” 天下一 ”

 

  二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる 「家光」 のほか、

  側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。

  家光 は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。

 

  幕府を支える徳川家大名の中でも、正之を信頼した家光、

  ” 譜代大名・松平の姓を与え、高遠3万石から 

                                         「会津23万石」 の大大名とした ”

  幕末、正之の家訓 に従い

  江戸開城後もなお、新政府軍と戦った 会津藩 !

  ” 天下一 ” の語源は、” 三代将軍家光が植えた桜  ” とも言われたが、

  後世、城址に植えた ” コヒガンザクラ ” が素晴らしいから !

 

 


* 義 仲  千 年 桜  (木曽義仲挙兵の地・上田市)

 

   平家追討旗上げ桜 エドヒガン (宝蔵寺)

  

   木曽で平家追討に立ち上がった「源義仲」

   上田の依田城に各地から戦士が終結 ・・ 挙兵 !

   ” 白鳥河原の勢揃い ”

   ここから 都に上り、征夷大将軍となる

    (治承4年=1180 岩谷堂観音)

    

 

 

 * 真田氏発祥の地・長谷寺 (ちょうこくじ・上田)

    

   長谷寺の枝垂れ

 

        海野一族の真田氏は、信州から追われ上州へ、

   勢力を蓄え、沼田藩を掌中に、 武田信玄に仕え 

   「 真田の庄(上田) 」 に凱旋 !

   「藩祖・幸隆」 は、真田家菩提寺 「長谷寺(ちょうこくじ)」を建設。

                          (天文16=1547)

 

   以後、地方の一豪族が 天下取りの渦中に ・ ・ ・

   「豊臣秀吉」 に臣従した 「子の昌幸・孫の幸村」

   「徳川家康」 の娘(養女・小松姫)を妻にした 「孫の信幸」

 

   真田家14代当主は健在で、昨年の

   「上田→松代入部400年祭 」 で、

   馬上より手を振って応えた !

 

 

 

 * 古 戦 場 に 咲 く 桜 

                                (川中島八幡原・長野市)

 

   典厩寺(てんきゅうじ)の枝垂れ

 

 

  永禄4年(1561)

  「武田信玄」 と 「上杉謙信」 の 遺恨十年 戦の最終戦 

  ” 川中島の戦い ”

  戦死者7000人 壮絶な戦は勝敗つかず !

  多くの戦死者の中に

    ”武田信玄が信頼していた「弟・典厩信繁(てんきゅうのぶしげ)」 ” が !

 

     後に松代藩主となった 武田家旧家臣「真田信幸」 は、

   戦死した所に 「典厩寺」 を建立し、 桜を植えた !

 

 

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