☆ 東国の 「家康」 を監視・精神的圧迫を!

    「秀吉」 が松本に建てた ” 五層六階・大天守 ”

 

 

  国宝「松本城天守」

 

 

  ** 城主は、かっては 家康 の側近だった 「石川数正」 **

 

    当時 東国には、

    奥州・会津の七層天守 のみで、大きなお城は無かったので、

          「松本城」 は桁外れの大物であった!

    「家康」に にらみを利かす城の主は、

    数十万石の大大名クラスかと思われたが、

    かっては、家康の重臣・石川数正 八万石の待遇だった !

 

 

   表門・太鼓門

 

 

    岡崎→浜松→駿府(静岡)→江戸 と、家康を関東へ遠ざけ、

    秀吉は、さらに、

    家康に精神的圧迫を加えるため、技術集団を松本に派遣し、

    大阪城を小型化した大きな城を完成させた。

 

 

   本丸門・黒門

   

 

 

  冬の埋橋(うずみのはし)

         黒い 「烏(からす)城」 が化粧したとき!

 

 

 

 

 

   春の本丸

 

 

 

 

   五層六階・松本城

      外部からの弾が届かない五階に城主の部屋が!

 

     

 

 

    松本城俯瞰図

 

 

   

    夜景も美しい

 

 

 

 

 

  ** 松本城の天守閣、呪いで傾いた ⁉ 

         ・・義民・多田嘉助の農民一揆・・ **

 

     昭和30年代の初め(1950年代後半)

     当時、松本の高校に通っていた筆者、

 

     ” 松本城が傾いているように見えますが ? ”

      と、学芸員に聞いたら、

     ・ ・ そこには、300年前 の物語があった ・ 

 

   S30年代、傾いていた 松本城  (市の広報) 

    

   

    1684年(貞享元)、毎年続く凶作、安曇野の農民の悲願を受けた

    庄屋・嘉助は、松本藩郡奉行に陳情 !

 

    この時1万人の農民が竹槍を持って押しかけた(強訴は厳罰時代)

    その場は聞き入れたように見えたが、一か月後反故

 

    刑場 念仏の声が響く中 嘉助は はりつけ !

    減税を求めて戦った熱き男・多田嘉助

    刑の執行時

    彼の怒りに満ちた声が届くと、その瞬間 ”城が傾いた!”

   

    ・ ・ ・ ・

 

    明治以降、軟弱地盤の修理を試みたが、難航

    300年経った昭和の大修理となった

 

      

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