☆ 徳川勢の見張り役 ・ 松本烏城の主は
” 石川数正 ”
外壁板にぬられた黒漆から「烏城(からすじょう)」と呼ばれている
* ” どうした 数正 !” *
松本市の真ん中に聳える
「五層(重)六階の天守」 を誇る 「松本城」 は、
豊臣秀吉 が 関東に移らせた徳川家康の包囲網 の構築 ・・
家康の動きを抑える(監視)為に建てた城である。
大阪城を真似て小さくしたと言われ、
東国にこれだけの規模の城は、秀吉の五大老・ 上杉120万石
” 七層の 「会津城」 ” 以外無い!
五層の松本城は数十万石の大大名格のお城なのだが、禄高は10万石 !
その初代藩主の名は、なんと ” 石川数正 ”
現在、NHK大河 ” どうする家康 ” で、
家康の側近中の側近 ・ ・ ” いしかわ・かずまさ ”
敵方・秀吉のお城「松本城主」に・ ・ どうした 数正 ?
** 月 見 櫓 と 家 光 公 **
徳川政権になり、江戸幕府は「武家諸法度」なる通達を大名に出し、
大名家同士の婚姻や城の増改築を禁止し、敵対勢力を封じた ・ ・
これに違反し城の無断改修をしたとされた 広島城主「福島正則」 は、
減封処分で信州高山村へ移封 ・ ・
時の 松本城主・松平直政 は
「三大将軍・家光公」 の 善光寺参拝を計画、
・・ 松本で月見をして、善光寺街道を北上 ・・
この提案が 将軍家に受け入れられ増築の許可 !
江戸時代 異例の増築許可 を得た ” 月見櫓 ” の誕生である。
(しかし、家光公の善光寺参りは実現せず、「月見櫓」 が残った!)
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