アメリカ大統領選に向けたテレビ討論がアトランタで開催され、懐かしい風景に昔の思い出が蘇った。アトランタには1990年10月から翌年の9月まで1年間駐在した。

 

 それまでの2年半、お隣アラバマ州の人口5万人の町にある工場に勤務していたため、久しぶりに吸う都会の空気(といっても人口40万人程度)に胸がはずんだ。日本食レストランや食材店があり、中華料理も餃子の専門店があったりしてレベルが高い。日本人コミュニティーの中には同世代の独身者も多くて、週2~3回は飲みに出かける日々だった。

 

 日本からJAL直行便が就航し、市内にはサントリーの直営店であるレストラン燦鳥やホテル日航も開業した。バブル崩壊が始まっていたとはいえ、まだまだジャパンマネーが世界を席巻していた頃だ。アメリカではホステスが接客するタイプのバーやキャバレーは違法なはずだが、主に日本人駐在員向けにカラオケバーが営業していて、白人や韓国人女性が下手な歌にも拍手をしてくれ会話が楽しめる。1次回は日本食で寿司を堪能し、2次会は男同士ならカラオケ、女性がいればちょっとおしゃれに高級ホテルのラウンジやピアノバーでナイトキャップとしゃれこんだ。1ドル135円くらいの為替だったが、100円くらいの感覚で使っていて、家賃や日本食の値段まで全て本国より割安、日本にいては体験できない20代最後の年を過ごすことができた。

 

 今は昔の物語、2024年日本にいる外国人駐在員は円安で当時の我々の金銭感覚なのだろう。過ぎ去りし青春を思い起こしながら、彼らを相手に何か新手の商売を考えてみるのも悪くない。

 

1991年アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ - 友人たちとストーン・マウンテンのレーザーショーを見物。市内にはCNNやコカ・コーラの本社もあり、コカ・コーラ博物館には日本からの来客を何度も連れて行った。