奥さんが赴任先の婦人会でいじめにあって途中帰国を余儀なくされた駐在員がいた。日本人の人数が限られるため、帯同する配偶者も否応なしに周囲のマルチな世代、異なった文化や学歴を持った人との付き合いが必要になる。当然上下関係もあって、なかなか難しい社会だ。

 

 アメリカの工場では赴任者が20名弱、家族も入れると60~70名の日本人が人口5万人の街で暮らしていた。工場長夫人を会長とした婦人会があって、月に1度くらいお茶会とかやっていたか。2~3名であれば気が合わなければ付き合わない、50人以上いれば気の合う人とだけ付き合うという選択肢もあるのだろうが、20~30名の規模では例会をさぼれば目立って微妙だ。独身者の僕にはうかがい知れない難しさがあったのかもしれない。

 

 パキスタンのカラチでは他社も含めて20社強の企業の駐在員がいて、ビジネス面では日本人商工会議所に各社加盟して会合や親睦会をやっていたが、やはり婦人会も活動していた。ODA(政府開発援助)がらみの仕事が多く総合商社がほぼ出そろっていたためか、歴代の商工会議所会長は商社の人で、それも三菱商事か三井物産の現法社長がつとめることが慣例になっていた。面白いのは婦人会にもその序列が適応されていたことで、両者いずれかの現法社長夫人が会長職になっていたようだ。一度商社若手駐在員の奥様方も含めた飲み会に参加したことがあったが、別の会社でも~夫人は丸の内界隈で新入社員の頃から美人の誉れが高かった、という話が出たりして、メーカーとは違う世界を感じた。

 

 家族で赴任する場合、社内結婚であれば現地に奥さんの知り合いがいたり、会社の思い出話をして婦人会にも溶け込みやすいだろう。子供が学校に適応できるか否かも重要だが、赴任者は仕事ばかりにかまけず奥様への心くばりをお忘れなく。

 

1990年アラバマ州・アメリカ合衆国 - 日本人赴任者とその家族、出張者を含めての宴会。出張者が宿泊するプール付一軒家を会場にしていた。歓送迎会が盛り上がるとプールに落とされる人が続出する。