安部政権下では、民主主義や法の支配、基本的人権の尊重などを価値観として共有する国家との関係を強化しようという、「価値観外交」が提唱され、具体的にはアジア地域で影響力を高める中国との対抗が強く打ち出された。地政学的には「遠交近攻」で近隣の強国を牽制するために、遠方と同盟を結ぶのは正しい方向なのだが、イデオロギー的に今後どこまで継続性が保たれるのか。今は亡くなったが保守派論客の友人がいて、当時の安倍政権について議論になったことがある。友人氏は「安部首相は満点だ。政治評論家としては言うことがなくて仕事がなくなってしまった」と冗談半分で語っていた。安部の「戦後レジームからの脱却」ということを突き詰めていくと、最終的には反米に行きつくのではないかと水を向けると、「まさにその通り」と同意して議論が盛り上がった。

 

「戦後レジームからの脱却」とは戦後日本の社会で失われたものを再評価することから始まるが、ともすれば明治憲法下での日本の政治や社会に対する肯定・回帰につながり、太平洋戦争すらも「日本が追い詰められて始めた不幸な戦争」という歴史観に到る。アメリカでは若い年代ほど広島・長崎への原爆投下に対して否定的な意見を呈するようになっているものの、さすがに日本による開戦を是とする者は少数派だろう。アメリカ人からすると金正恩を崇拝する現代の北朝鮮も、天皇を現人神と敬い天皇陛下万歳を叫んで死んでいった戦前・戦中の日本人も大差はない。安部の歴史観は欧米で一般に受け入れられるものではない。

 

 昨今の中国の電子・通信機器メーカーに対するアメリカを中心とした「西側陣営」の締め付けを見ていると、1980年代から始まり日本企業の凋落を招いた「日米半導体交渉」を思い起させる。駐在時お世話になった某総領事が「自分勝手なルールを作って押し付けられた」と吐き捨てるように言っていたが、その後も邦銀をターゲットにしたBIS規制、環境保護を建前にしたハイブリット車=トヨタ排除の動き等、経済的に台頭する国に「国際ルール」を押し付けてつぶしていくのが彼らのやり方だ。当時の日本政府より今の中国政府の方が「経済戦争」をよく理解しており、現実的にはどちらが勝とうが「勝ち馬に乗る」、あるいは「漁夫の利を得る」のが国家として正しい戦略だろう。

 

 基本的なところで、西欧の個人主義とは異なる思想がアジアにはあり、日本国家主義の源流も頭山満の玄洋社等アジアとの連帯を標榜していた。中国もこの10年あまりで共産主義というよりも中華民族主義に大きく舵をきっているので、それに対する反共保守という構図は既に成り立たなくなっている。あくまで民族主義同士の対立軸を打ち出すのか、それともアジア主義的な共感から中国に接近する動きが出てくるのか、歴史観も含めて今後の日本国内保守層右派に注目していきたい。

 

桂林・中国2012年 - 川下りの観光船。あいにくの天気だったが、「雨の日の桂林もまた最高」というガイドさんの言葉。香港から1泊2日の旅。