切符をなくしたのか、改札を出ようとしたら見あたらない。
無人駅なので、精算機の横のインターホンで東岡崎駅の駅員と話して、改札を通してもらう。
東岡崎駅から、改札機を遠隔操作してバーを開けられるのだ。初めて知った。
国道1号に出て、左折して進む。すぐに旧東海道は右に分かれる。

熊野神社

永安寺の雲龍の松(安城市浜屋町)
1677年、大浜茶屋村の庄屋柴田助太夫は、村が疲弊するという理由で、藩に助郷役の免除を訴え、死罪になる。
後に助郷役は免除になった。
村人は、助太夫を弔い草庵を建てて、後に永安寺となった。

松は横に拡がっている。樹齢300年と言われる。
助太夫が生存している頃に松があったかは不明。

明治用水碑
江戸時代から明治にかけての工事で完成した灌漑用水だが、今、暗渠になっていて、上がサイクリングロードだったりする。

来迎寺一里塚。右手(北側)
新居から二泊三日で歩いてきたというオジサンが、撮りましょうかと言うので、一里塚をバックに撮ってもらった。
自分の姿を撮るのは、日本橋と、丸子の丁字屋の前と、ここで3枚目。
毎日見てる姿なので、あまり撮る気はしない。
オジサンは、岡崎で八丁味噌を買ったので重くって、と言いながら紙袋を提げていた。
学生のときにここを歩いたことを話したら、オジサンに「やっぱり雰囲気とかずいぶん変わってますか」と聞かれた。
それは、もちろん、変わった。東海道だけでなく日本中が変わったように。
私が、昔撮った写真を持っているので、それを今の風景と比べられることを羨ましがられた。
10キロ歩いても1、2枚くらいしか撮っていなかったのだが。いかにフィルムや現像が高かったとはいえ、無理しても昔の町並みとかを撮っておけば良かった。

知立の松並木

知立松並木の道祖神

かきつばた。松並木の左手にたくさん咲いていた。

馬市の碑
かきつばた 名に八ッ橋のなつかしく
蝶つばめ 馬市たてしあととめて
俳人麦人

知立宿に入る

知立宿
2時半過ぎに知立駅に着く。
有松絞りを買って、人へのプレゼントにする予定なので、名鉄に乗って有松へ行く。

有松の町並み
有松駅で、再びブロンプトンを拡げて、絞り会館のあるあたりに行って、町並みの写真などを撮る。
昔と違って、電信柱などがなくなっている。
あとは、喫茶店の名前以外は、あまり変わっていない気がする。
結局、久田という店で絞りのタオルやハンカチなどを買う。
15時46分の名古屋行きに乗って帰る。
改札機に通した切符を、取らずにホームに降りようとしたら、放送で呼ばれた。
そばにいた人が駅員に言ってくれたのだ。
今日はまるでダメである。