通常は画面の表示を注視しているから、映っている顔にまで注目は行かない。
ただなにかのタイミングでふとそこに映り込んだ自分の姿を意識することがある。
何度となく見てきた自分の顔である。
改めて何か発見するようなパーツがあるわけでもない。
酔って頰が少し赤くなっているとか、鼻の右下に髭の剃り残しが数本あるとか、そんな程度だ。
でも何となくその映り込んだ顔を眺めていると、今まで意識していなかったことに思い当たることが時々ある。
目は、ホリが深くはないし日本人的な顔型な方だと思うが、よくよくみると眼球が瞼よりもやや奥の方へ引っ込んで植わっているように見える。
知り合いにも日本人的なホリの深くない顔の人間がいるが、彼は大きく目を開けると目の穴から眼球が飛び出てきそうなほど張り出している。
いわゆる"目が大きい"というのではない。"張り出している"という表現が近い。
それと比較すると僕の目はやや内側に引っ込んでいるように見える。
そして右目だけが奥二重なのだ。
ほとんどの人間が誰も気づけないレベルの些細な奥二重。
これらの局所的な差は、果たして人間が生きていく上でどれほどの個人差を生むのだろうか。
眼球の張り出し方、目の穴の大きさにより、おそらく視界はかなりの個人差が生じるのではないか。
そしてそのことによって自分たちの人生がどれほど恵まれ、あるいは恵まれないかについて、誰も気づけないまま墓場へと入っていくのだ。
他人の身体に乗り移ったりすることができない以上は。
そう考えるとすると、人間とはかくも孤独な存在なのだと改めて気づかされる。