ある時僕はその職場の荷物整理か何かをしていた時に、「館内禁煙」のステッカーを見つけた。
何を思ったかそれを火災受信盤の上に方に貼り付けた。
それを次の日出てきたNという男が文句を言い出した。
いや、文句を言うというレベルではなく、世界中の怒りという怒りを全部掻き集めたような罵声で罵った。
「喧嘩売っとんなら買ったるぞ!」
その職場では喫煙者が2名、他は全て非喫煙者だった。
Nはその喫煙者の2名のうちの1人だった。
タイミングと状況が悪かった。
何しろその2名の喫煙者のうち、1名はその職場の責任者であり、その方が他部署へ異動するタイミングで「館内禁煙」のステッカーを貼り出したからだ。
もともとその職場自体は、喫煙は公式には認められてはいない。
ただ慣習的に、グレーゾーンとして喫煙が黙認され常態化していたに過ぎない。
だから「館内禁煙」を貼り出すこと自体は間違ったことではなかったはずだ。
けれどもボスが異動のタイミングでそれをやったということが、もう1人残った喫煙者のNにとっては直接自分に喧嘩を売られているように感じたらしい。
けれどもそれを差し引いてもその罵りの剣幕は、起こった事態に比して常軌を逸したものだった。
建物の一階にあるその職場の、3階や4階付近まで届いたに違いない。
ある同僚は
「子供じゃないんだから」
とつぶやいたほどだった。
特にこの件に関してはNに対して憤りを感じているわけではない。
ただ何に対して人間が憤るのか、そしてその憤りの仕方としてこのような形式があり得るのか、という関心の方が大きかった。
その時のNの顔を今でも忘れない。
身長160cmに満たない肥った50代の体に、どう見ても70代と見える白髪と皺の寄った顔の紅潮した顔を。