地震とこれから・・・ | つぶやきMAX

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雑食系チャミペンのぼやき

今、何が起きてるの?っていうのがその時の気持ちだったとおもう

3月11日午前、先日なくなった伯父の荷物整理の為明日12日車で千葉へ行く。そのための準備をしていた。手土産を買い、チングにも送るお菓子を買った。 他で買い物に行た姉を迎えに行った。
14時頃帰宅。しばらく留守にするため、チング達に送る荷物の準備をしていた。
朝、昼食を食べていなかったのでカップラーメンにお湯を入れ出来上がるのを待っていた。
父は、千葉に行く準備の為ガソリンスタンドに行っていた。

そのとき、ミシッ、ミシミシッ・・・がシャーン、ドドドーって音がしたと同時に強いめまいを感じた。
ああ、地震だ。姉も言っていたが洗濯機の中で回されている感じ・・・怖い
怖い!コワい!こわい・・・何度叫んだかわかんないけど、とにかく叫んだのを憶えてる。叫ぶだけ叫んだら
冷静になった気がした。手には、なぜかケータイではなくカップラを持っていた。
こんなとき、家の中にいるべきか、外にでるべきか・・・正直わからなかった。とにかく、身辺の持ち物を持ち出すこと・・・揺れが弱まり、母の仏壇の写真、伯父の写真、過去帳(戒名の書かれた本)、自分の部屋に行き防寒着、トランクにチングに送る荷物、通帳、ケータイの充電器、ブランケット、など詰め込み冷蔵庫、台所の食材を手当たりしだい持ち出した。あたしの部屋のトンコーナーの棚ぐちゃぐちゃ・・・取りあえずPCを床に置き布団で巻いてテーブルの下に隠し玄関に避難した。電話が通じない・・・父との連絡も取れない。そこからは、あんまりおぼえてない。
んで、父が帰り、車に荷物を詰め込み祖母の家に様子を見に行った。車中あたし手には、のびきったカップラを握っていた。
停電の為信号も点滅せず、道路は渋滞・・・コンビニは暗闇の中、人でごったがえし。長蛇の列・・・こんなシーンが現実で起こっているのか?公衆電話が無料開放され親族の安否も知った。
家に帰ると真っ暗闇。とにかく着替えを持ち車に積んだ。
晩ご飯は、石油ストーブでお湯を沸かしカップラ。暗闇でキャベツを刻みタッパに詰め、豆腐も冷奴にしてタッパに詰め・・・あたし食べ物の確保ばっかじゃん。チャンミンの確保忘れていました。そんなことに気なんか回らない。とにかく雪も降るし、寒いし生きるためのもの集めるのに必死。
日本列島の状況理解できたのは、車のラジオかな?・・・壊滅ってアナウンサーが叫ぶ。余震は続く。そんな繰り返しであんまり寝れなかった。一晩車の中で過ごしあかるくなる頃ようやく寝た。ケータイがつかえたのが唯一の救い。そして、なうで繋がっていたことが嬉しかった。
翌日12日、水や食糧をさがしにでた。コンビニは全滅。何もなかった。スーパーもすごく並んでいたが買える!!いつまで続くかわかんないけど電池もろうそくも買い食糧も買えた。いつかスーパーのものも尽きてしまうのか心配だけど。

余震は続き、地震なのかなんなのかわからないけど常に揺れていた。

夕方、また祖母の家にいった。電気がいきなりついた!家もついたかな?期待をし、家に帰りブレーカーあげた。つかない・・・。夜ご飯もろうそくの火で食べた。19時過ぎ近所の明かりで復旧に気がついた。あかりがあるってとても幸せだったんだなって気がついた。余震は続くけど電気がついたのでPCを立ち上げ、連絡つかないピグのチングに手紙をかきにインもした。インしていたチングが逢いに来てくれた。涙が止まんなくて泣きながら話してたよ。感謝します。
テレビもつけ情報を手当たりしだい読みあさった。
ショックを受けた・・・隣の県が、何度となく行った県がなくなってた。思い出の場所なくなってた。ツナミに飲み込まれていく映像に人々のすがた

キツイ・・・涙が止まらないよ。

宮城県には、前の職場がある。岩手県にも知り合いも友達もいる。未だ連絡の取れないかたたち、今どうしているのかな?どうか、家族共々無事でいてください。祈る事しかできない。どうか生きていて・・・
あたしの住む県は、東北の中でも一番被害が少ないです。それでも、いつまたくるかわからない地震に恐怖があります。揺れに敏感だし、胃がキリキリするし、頭も痛い、暗いとコワくて朝まで寝れない。ビビリな性格だし・・・あたしのとこでこんなに心が疲れたのに、隣県、東北、全国の被災地の皆さんは、もっともっと、苦しくて、不安で悲しくてやりきれないんだよね・・・そして、阪神・淡路大震災の経験者の方々も新潟の震災の経験者の方達も辛い気持ちを思い出されたことと思います。それでも沢山の励ましや元気をくれてありがとうございました。全国のチング達からメールが来る度嬉しかった。今、あたしに出来ること・・・少ないけどやれることはしたい。そして、日本の復興にすこしでも力になりたい。
昼間に見たニュースで、現段階で、東北地方への物資の援助は難しいらしい。それでも今、県内にある材料で少しでもと避難したい気持ちを抑えて営業をしてくださっているお店の方々に感謝です。こんなときだからこそ、助け合い、励ましあい生きていきたいって思う。

みなさまへ・・・心よりお見舞い申し上げます・・・・・

大切な人、どうか生きていてください。待っているからね