楽園 (2019) | チャレンジの日々

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解説
『悪人』『怒り』などの原作者・吉田修一の短編集「犯罪小説集」の一部を、『64-ロクヨン-』シリーズなどの瀬々敬久監督が映画化。ある村で起こった幼女誘拐事件、少女行方不明事件、養蜂家にまつわる事件を通して、人々の喪失と再生の物語が描かれる。少女行方不明事件の犯人だと疑われる主人公を演じる綾野剛をはじめ、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」などの杉咲花や『64-ロクヨン-』シリーズで主人公を演じた佐藤浩市らが共演する。


あらすじ
12年前、青田に囲まれたY字路で幼女の誘拐事件が発生した。事件が起こる直前までその幼女といたことで心に傷を負った紡(杉咲花)は、祭りの準備中に孤独な豪士(綾野剛)と出会う。そして祭りの日、あのY字路で再び少女が行方不明になり、豪士は犯人として疑われる。1年後、Y字路へ続く集落で暮らす養蜂家の善次郎(佐藤浩市)は、ある出来事をきっかけに、村八分にされてしまう。

以上、映画情報サイトより引用




お久しぶりになってしまいました(-_-;)

ちょっと遠方に行っていまして、間隔が結構空いてしまいましたね。
。。。。。全く、何処へ行っても、コロナコロナコロナコロナコロナと、心底いい加減にして欲しいと思ってしまいましたね。
もう、人間が楽に移動出来る時代は終わったのかもしれません。

出だしから、愚痴で済みません(-_-;)

さて、久しぶりに見た映画が、これが結構重かった。。。。。。

では、いきます。

主人公は、紡ちゃんですかね。


小学生の頃、友達の愛華ちゃんが事件に巻き込まれます。

学校の帰り道、2人はいつも一緒に登下校していたので、愛華ちゃんと最後に一緒にいたのが紡ちゃんだった訳です。

帰り道で、シロツメクサの花冠を一緒に作っていた時、愛華ちゃんの態度にイラっとした紡ちゃんは、彼女に冷たくするんですね。

冷たくするというのは、愛華ちゃんが紡ちゃんに、
「家に遊びに来て」と誘ったのですが、紡ちゃんは
「嫌」と答えて、愛華ちゃんが頭にかぶせてくれた花冠も、道路に投げ捨てて帰るのです。


愛華ちゃんは、仕方ないので、いつものY字路で紡ちゃんと別れ、1人とぼとぼと家路につくのですね。

その道すがらにいたのが、難民申請で日本に移住していた豪士。
豪士は、車のトランクに腰かけて泣いていました。。。。。


愛華ちゃんは、道で泣いていた豪士に、
「遊ぶお友達がいなくて泣いているの?」と、紡ちゃんに冷たくされた自分と豪士を重ね合わせ、豪士の頭に自分が作った花冠をかぶせてあげて、立ち去るのです。

豪士が何故泣いていたのかというとですね。
7歳で、日本のことを「楽園」と教えられて母に連れられて移住したものの、虐めや差別を受けて各地を転々としてきた人生。
その日は、ついに母にまで邪魔者扱いされて、唯一の味方さえ無くした気がして泣いていたのです。

ちょっとね、ここで私の意見を書かせて頂きたいのですが。
私は、生まれてから今まで、国籍で差別を受けている人を見たことがないんですね。
学生の時も、アジアからの留学生もいましたが、皆に好かれていました。
だから、こういうストーリーは不思議で仕方ないんですね。
日本って、そんなことで差別なんてしないですよ。
だから、こういう映画が世界に発信されると、何だか凄い排外主義で閉鎖的な国と誤解されそうで怖いですね。

映画に戻ります。

豪士は、人の(愛華ちゃんの)温かさに触れ、思わず縋るように、愛華ちゃんの後を追うんですね。

その姿を見送る紡ちゃん。。。。。。。

そして、そのまま愛華ちゃんは失踪。

一応、豪士も疑われるのですが、豪士の母親が彼のアリバイを偽証したので、証拠不十分で罪に問われませんでした。

そして、それから12年後─

村の祭りの季節、あるきっかけから、豪士と仲良くなる紡。
孤独に生きている豪士の姿が自分と重なり、紡は豪士に惹かれるのです。

12年前、自分と別れてすぐにいなくなった愛華ちゃんのことで、罪悪感を抱いてしまった紡は、愛華ちゃんがいなくなったのに、自分だけ幸せになってもいいのかと考え続けながら生きてきたのです。
そんな孤独感が、移民として孤立して生きている豪士に共鳴したのでしょう。

「自分のことを、誰も知らないところに行ってしまいたくない?」と聞く紡に、
「どこに行っても同じ」と答える豪士。

楽園なんてもの、きっと何処にも無いんでしょうね。
だからこそ、人は『楽園』という言葉に惹かれるのかもしれません。



そして、またその村で起こる少女失踪事件。
村人は、12年前を思い出し、豪士を疑うんですね。

追い詰められた豪士は、灯油をかぶって焼身自殺します。。。。
「愛華ちゃん」と呟きながら。



小児性愛とか、変質者とかいうのは、1件で終わることはないことが多いので、豪士はそういう快楽殺人の性癖があるのではなく、愛華ちゃんのことは、何かの事故だったのでは、と私は思うんですね。
人生に絶望を感じた12年前のあの日、優しさをくれた愛華ちゃんを、思わず追ってしまった豪士。
声をかけたのかもしれません。
愛華ちゃんは、何か恐怖を感じて逃げたのかもしれません。
それを引き留めようとした時に、ふいに殺人にまで及んでしまったのかもしれません。

全部、私の想像なんですけどね。
たぶん、そんなところではないかと。

豪士も、紡ちゃんのように罪悪感に苛まれた12年を過ごしてきたのでしょう。
そして、焼身自殺をすることで、自分なりに罪の清算をしたんでしょうね。

さて、この映画には、もう1つ軸があってですね。
この村に、Uターン移住した善次郎という男性がいます。



親の介護の為に、村へ帰った善次郎でしたが、妻も白血病で亡くしていたので、そのまま故郷の村で養蜂業をして暮らしていく決意でいました。

善次郎は、村おこしに自分が携わっている養蜂を役立てようと、村の長老たちに働きかけます。
上辺では、その提案に前向きな姿勢を見せる村人たちでしたが、その計画に助成金が降りようとする段階までくると、長老たちは、その手柄が気に食わなくなるんですね。

そして、善次郎を村八分状態に追い込んでいきます。
だんだん精神のバランスを崩していった善次郎は、村人たちを殺傷して山へ逃げ込み、自殺します。。。。



善次郎という人は、妻を亡くす前は、家庭を顧みなかったので、妻に対する後悔の念を抱えて生きていました。
そういう心の傷に、村人たちの酷い仕打ちが追い打ちをかけて、壊れてしまったんでしょうね。

豪士も善次郎も、あまりにも周囲に追い詰められてしまった。。。。
豪士は、楽園など何処にもないと知ってしまっていたので、村を出ても、社会は自分に冷たいだろうと、何処にも行けない状態だった為に、この結末しかなかったかもしれません。
愛華ちゃんへの犯罪も、清算しなくてはいけなかったしね。

善次郎の場合は、村八分になった時に、村を出れば良かったのにと、私は考えてしまいます。
妻への罪悪感があったとしても、善次郎が妻を殺した訳ではないのだから、贖罪の道は、この村じゃなくても何処にでもあったのではないかと。

。。。。村を出ることさえ考えられないほどに、精神のバランスを崩していたのかもしれないですが。

しかしあれですね。
人間の醜さが凄すぎて、暗~い気分になりますよ。
差別や嫌がらせをする人っていうのは、そういうことをして楽しいんですかね?
そっちの心理の方が、私は知りたいですね。

ということで、締まらないレビューですが、こんな感じで終わりますね。

私的評価星星