心にナイフをしのばせて | チャレンジの日々

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神戸で「酒鬼薔薇」事件が起こったのが1997年。その28年前、そっくりな事件が東京近郊であった。同級生を殺し、その首を切断した加害者は、当時15歳の少年。息子の死から40年近く経ったいまも、被害者家族は事件を重く引きずっている。歳月は、遺族を癒さないのだ。一方、犯人の父は、約束の賠償金をほとんど払わぬまま死亡。犯人は“立派に更生”し、なんと弁護士として成功をおさめていた。被害者家族に光を当て、司法を大きく動かした、執念のルポルタージュ。

以上、販売サイトより引用

犯罪被害者の遺族の抱えた痛みの話です。
15歳の少年が、同級生に滅多刺しにされ、さらには首を切り落とされる、という事件。

事件から40年。
被害者の母も妹も、ショックで心を病み、苦しんでいます。
気丈に振る舞っていた父親も、深く傷ついたまま亡くなり。。。

それでも加害者の少年は少年法で守られ、弁護士となっています。
被害者の少年家族への謝罪もなくて、遺族の気持ちはどうなるのですか?、という内容です。

家族を殺されたら、何を以ってしても許せるものではないでしょう。
命は帰ってこないのだから。

この本の言いたいことは、よく分かるのです。
しかし、先日「父の秘密」という映画を見てしまったので、少し複雑な気持ちもあります。
加害少年は、被害少年に虐められていたということ。
そうですよね、快楽殺人ではないので、殺した少年にも何かしらの理由があったのでしょう。
「父の秘密」の中の虐めは、暴力や強姦や、ポルノ動画の拡散など、もう見ていられない程の虐めでした。
大人顔負けの、凄惨な虐めを集団でします。
しかし、被害者の少女が海の事故に遭うと、全員が口を閉ざし、真相は闇の中。
虐めなど1つもなかったかの如く。

この本の、加害者の少年(虐められていた側)も、被害者の少年(虐めていた側)も、未成年なので、詳しい状況の全てが公開されないので、実際、どんな虐めだったのかは分かりません。
しかし、被害者側の少年グループの男の子達は、被害者の月命日には必ず少年の家に集います。
そして、ある日、「殺されていたのは、この中の誰であってもおかしくなかった」という発言をしたそうです。
それは、何か心当たりがあるからこその言葉なのでしょう。
虐め問題の闇も、確かに感じるのです。

そして、邦画「歩いても 歩いても」では、自分の息子が自らの命を犠牲にして助けた(水の事故)少年に、いつまでも罪悪感を持って生きて欲しい、と15年経っても命日に呼び続ける母親の姿も描かれていました。
命を失った側は、癒えることのない悲しみを生涯抱えます。
謝罪だけでは足りないのです。
苦しんで生きて欲しいと。
母親ならば、持ってしまう素直な感情なのだと思います。

どちらの側に立ってみても、やりきれないです。

私的評価星