おはようございます。
イケメンです。
少し前、有名なプロデューサーにより、リブランディングした某回転寿司屋にいってみたのですな。
このご時世で、DXはしっかり装備。
着席から会計まで、一度も店員の接客を受けずに退店しました。
飲食店育ちのボクとしては、正直「なんかつまんないな」と感じました。
感染症対策や人件費節約の観点からだと、今の時代の正解のひとつであることは間違いありません。
気の利かない店員に接客されるなら、タブレットでコミュニケーションなしのほうが楽だしね。笑
でもね、
会話がうまく、気の利いた接客をする。
テーブルに料理を届けに来たら、空いた手で食べ終わった皿を下げる。
立ち上がってキョロキョロしてたら「お手洗いをお探しですか?」と声がかかる。
複数回来店されるなら、顔を覚えて名前で呼ぶ。
ボクは寂しがり屋ではないけど、飲食店においては食べること以外の何かかがあるとほっとするんだな。人ならではの。
食の時代の流れ。
便利で早く食べられる、手軽に調理できる、そしてできるだけ安く。
栄養成分がどうとか、どの順番で食べるとか。
本来の食って、数値や理論で食べるものではなく、本質的に体が求めるものを選んで生きてきたはず。
なので、病気などで食事制限がかかると、極端に食べることがつまなくなってしまう経験はありませんか?
インスタントなどの加工食品も、技術や知恵の結晶なんですよね。
でも、そこから人はほとんど感じない。工場の大量生産だもの。
旬の食材を使い、加工しすぎず、元の食材を感じるままに。
作った人の顔が浮かぶような、そんな料理が情熱弁当の理想。
体験とか、経験とか、感性とか。
数値化できないものにこそ、大切なことが隠れている気がします
かつて地球に存在しなかった物質を化学的に作り出し、それを人間のカラダにとりこむようになった。
食物の遺伝子を組み替え、極端に色や香りを付け足し、必要以上に長期間保存ができるようになった。
それは食の進化を意味するけど、反対に病人が増え、感染症がまん延し、昔はなかったアレルギーなども増えた。
結果として、食は便利にはなったけど、かえって危険なものや不安なものが増えたんですよね。
我々人間は肉であれ魚であれ、野菜であれ、なにかしらの命を奪いながら生きています。罪深い生き物なんですよね、人間って。
自分のカラダに他の命を取り込んでいること実感し、食べられることに感謝すべきなんですね。
そこには人の気配が感じられるのかな?
食べ物の生命力が感じられるのかな?
そんなことも頭において、改めて食を選べる人が増えるといいな♪
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