パトレイバーで後藤隊長が
「うちら(警察)の仕事は負け(事件が起きてから)からスタートだから」
なんて言うくだりがあったと思う。
そもそも、疫病なんていうものは負けからのスタートなのだなぁ。

そして恐ろしいのは負け続けてること。

これまた後藤隊長が
「戦線から遠ざかると楽観論が支配する。負け戦の時は特にそう」
なんて、あんた未来から来たの?的な予言。

信じるか信じないかはあなた次第。

今のところ「お前はすでに死んでいる」なんて秘孔をつかれるほどの敗北ではないけれど
ゼロリスクを強要する魑魅魍魎とシステムの硬直で「足が勝手に〜」の結末が妙にリアル。

ともあれ、負けを認めることから始まる戦もあるし
後藤隊長の言葉は予言ではなくインパールとかなんとかの過去からの学び。

知性と教養は負けている時にこそ大事だなぁと
無力感に包まれながら富士を見る。
暗記パンにあこがれた。
しかれども大学受験ともなると一体、何枚食べればいいのか。

ならば如何に字を小さく書き、どれほどの情報をつめられるかが肝要。
なれど排泄とともに情報が失われるリスクは覚悟。

暗記パンなどという小学生からも
「夢想の輩め!」と石を投げつけられそうな
お手軽ご都合ひみつ道具に対してさえ考察を深めるのは
知識にたいする欲望がすげえから。

書籍など手にすれば、埋蔵された知識が指先から
シナプスの電気連鎖で脳のどこかその辺に蓄積されるはずと
学術書などむやみに贖う悪癖よ。

そしてそれは激務とともに過剰になり
シン・エヴァンゲリオンの公開の延期の報に
たへがたきをたへしのびがたきをしのび
時には涙し、時には唄い
ポチりまくる衝動を止められぬ。

しかも今回は「自分へのお年玉」とか言って
作らぬプラモデルまでポチりポチりとここ掘れワンワン
今は枯れ木でも、春には桜も咲くだろよ。
大阪にいってからしばしば想い出のフラッシュバック海老反り固め。
懐かし写真の共有なども攻撃の頻度を高める。

嗚呼、確かにこんなことあったのだ。
ああ、たしかにこんなとこにいったのだ。
アア、タシカニコンナニワラッテイタノダ。

甘くスイートでメロウな記憶に追い打ちをかけるのが
背景に広がるなんでもない日常の品々。

背景に写る本棚に並んだ文庫本のタイトル一つ一つが
エルボースマッシュ、ストンピングの連続攻撃を浴びせる。

当時は気にとめることもなく日常を包んでいた風景が
かくもノスタルジックワールドを拡散するとは不覚。

たぶん、神は細部に宿るってこういうこと。
自分の人生において大阪で過ごした学生時代はとてつもない。
学生時代といいつつ二年もよぶんに過ごしただけにとてつもない。

彼の地での七年で、どろどろと混沌に満ちたオレを
天から伸びた矛がかき回し一個の人間となれたのだ。

当時の仲間たちににはもう二度とは会えまい
と悲壮な覚悟に酔いしれていたが、さすがの高度情報化社会。
フェイスブックとかラインとかで「やあやあ久しぶりに会おうではないか」
なーんてすぐに再会の段取りが決まったり、まったくもって風情なし。

風情は欲望に駆逐される。にんげんだもの。
行ったさ大阪に。
思いがけぬ旧知のセンパイの姿が目に入り、まさか本当に感動して涙が滲んだ。
嬉しくて泣くなんて。。。犬でさえおしっこしか漏らさないのに。
いやいや涙の方がハードル低いか。なんてどーでもいいことも頭に浮かぶなど。

帰途のクルマ。
当時よく聞いた楽曲をかけてハンドルを握りながらただただ泣いていた。
信号機のない高速道路ゆえに鼻をかむ余裕まであった。

これで青春も終わりだなとつぶやくものか
セイシュンゾッコー!!と十萬八千回叫んだんねん。
52歳の冬だけど。
コンテストに応募するために膨大な時間と労力を注ぎ込んだ。
と思ったらコンペの企画作りの発注。
そして、某地方CMのアワードに家族の力を結集し挑戦。

なんというポジティブ戦士なのだとお思いの諸兄もいらっしゃるとは思いますが
本当は選ばれるってのが嫌い。
他人にセレクションされるってのがどうにも苦手。

ニンテンドースイッチを手に入れようと、
すでに10回は抽選に応募したがすべて落選。

オレは世界に拒絶されてる。。。

なんて妄想にとりつかれたまま
ふらふらと入ったヤマダ電機で偶然にも店頭に並んでいたスイッチをゲット。

むははは、余を選ばぬおまへどもが愚かなのだと鼻息で夜空を飛んでみた。
カメラは見た!とか
衝撃映像100連発!とか
交通事故決定的瞬間!とか割と好きで
半年に一度くらい睡眠時間をけずってまで見入るのである。

何ゆえにと自ら問うたこところ
日常生活における危機回避の予行演習であるぞよと
道路を歩くに、あの様な状況であればこの様に行動すべしと
心の闇から漏れ聞こえた。

昨今のデジタル技術の発達とデジタル端末の普及により
かっては噂で聞くばかりであった極悪無慈悲の非道行為がツイッターなどでは溢れておる。

たとえば隣で寝ている幼児の顔面に内縁の夫がいきなりエルボースマッシュくらわすとかね。

泣いて走っていく幼児の後ろ姿に息子の姿を重ねたね。
もうね、見たくないよね。知りたくないよね。

どんな予行演習をしとけばええねんっていう話。

トラウマのように記憶に残る「復活の日」。
致死率100%のウイルスだか細菌が蔓延し絶望した人々は、
狂ったような護摩行で神仏にすがり、ディスコで裸で踊り狂うなどする。

人類を襲う危機的な状況はだいぶん想像と違っていた。
裸で踊り狂う若い女性の姿など探しても見つからぬ。

そして一番恐ろしいのはウィルスではなく恐怖心。
先の大戦。戦地で民間人の命を奪ったのは銃弾ばかりではない。

だから人事を尽くしたのちにアマビエなどに頼るのも悪くはないのだ。
今週はほんとうに珍しく2本も映画を見たのである。
100年ぶりくらいに見たのである。
一本は夫婦のうち一人が50歳以上だと二人で2400円。
もう一本はレイトショーで1300円。

レイトショー。
当日チケットを購入しようとタッチパネルの前に立つ。
タッチを繰り返し、座席指定の画面に。
!?
全ての座席の色が同じではないか。
一瞬、満席かと思ったが逆だ。

上映10分前で観劇しようと狙っているのはオレだけ。

140分もある上映時間の途中、トイレに立ったらもう一人の影を発見して
奇特な奴めと思った次第。
久々に映画館。
久々のタランティーノ。

快楽無間地獄でいまだに余韻。

ヒトの子の成長は早いというけれど
我が子も気がつけば小学生。
ええまじでえぇ???あっという間じゃん!
などと思ったりするが、
よくよく考えると大変だったあれやこれやが怒涛のごとくであった。

子育てなるものは実地で気づくことがアマタ。
想像とか理想とかとは全然違う。

通い始めて1ヶ月に満たない小学校も全然違った。
慣例が横行し、心づくしとか合理性とかから乖離したイベントの多いことに驚く。

郷に入ればの精神に割と肯定的な立場でいようと思うのだけど
校庭の草むしりを水曜に召集するとはいかがなものか。
というかどういうこと??

謎苦行の多さに困惑。