名を与えられると、それまでアホで幼児のようだった破壊神が
おいおいなに言ってんだか難しすぎてわかんねよってな
哲学的で深い教養を感じさせるセリフを吐き始めるのはナウシカのくだり。

げに名前は大事。
逆もまた真なりで、いままで見過ごしてきたあれやこれやも
名前を与えることで世界が広がる。

ムスメが「とりぱん」経由で鳥に目覚めた。
ならばとモノから入る父は双眼鏡を与え、
ともに野鳥をウォッチング。

あれはメジロ。
あれはツグミ。
あれはイワツバメ。
あれはヒヨ。
あれはオナガ。

いままでの風景に次々と名前が与えられ世界が広がる。

はじめてエヴァを見た時を鮮明に覚えている。
週末の夜にダメな仲間と集まって
ダメなだけに時間を持て余しテレビのスイッチを入れるとエヴァがやっていた。
虚数空間などという意味不明の展開にもかかわらず引き込まれた。
むしろこの回で出会ったことがエヴァにハマることを決定づけた気もする。

最終話までの土曜の夜は特別な体験をする時間となった。
いままで見たことのない映像表現に釘付けになった。
渚カヲルを圧殺する長尺静止画のシーンに演出というものを学んだ。

劇場版を見て、自分にとって作品としてのエヴァはTV版で完結してるのだと確認した。

それでも20年以上エヴァを追いかけ続けた。

この長きにわたる関わりで生まれたのはキャラクターへの愛と監督へのつきぬ興味。
いや、興味というよりも敬意か。

本当に終わるのだろうか?という一抹の不安を抱きつつシン・エヴァンゲリオンを見た。

落とし前とはこうやってつけるのだと、まざままざと見せつけられ
庵野秀明に落とし前をつけられた。
Tシャツにこだわる。
素材感やフォルムも気にはなるが
やはりデザインにこだわりたい。

というよりも身にまとうことでメッセージを発したいのだ。
そも、どんな主義やら主張やらをがなりたいのかと言えば
「くすりっ」ってスノッブな心をくすぐるセンスの持ち主であることを。

さりげないフリをして自己ケンジとショーニン欲求を満たそうという
みっともない性向は死ぬまでなおるまいよ。

ミロクにゲバラに若冲にマンドラゴラにつば九郎。

ユニクロも時々、琴線に触れるTシャツを出す。
お気に入りのおそ松くんは強風の日に11階のベランダから飛んで行ったっけか。

そして、村上春樹。
有名すぎて、普遍すぎて、メッセージが強すぎて
食指が伸びるがゲットを断念。

漫画、映画、小説を問わず戦争を描いた作品が好きで
目につけば必ず読んだり見たり煮たり焼いたりする。
戦場の描写で不思議と多いのが雨のシーン。
プライベートライアンでもプラトーンでも沖縄決戦でも雨が降る。

そしてオレは雨の描写が苦手。
べちょべちょに濡れて地をのたうちまわる姿がうっとしくっていけない。
塹壕戦なんて言ったら最悪で泥にまみれずくずくの軍靴をみると足が痒くなる。
戦記ではないが百年の孤独も雨が降り続くってだけでげんなりした。
というか雨がやまない小説だったとしか覚えてない。

休日には子どもらを連れて公園に行く。
関東ローム層っていうの?滋味溢れる豊かな土壌は
美味しい野菜を育ててくれるのだろうが
前日どころか3日前の雨でも公園の地面はどろどろの泥濘。

我を忘れて遊ぶ子どもらの服も泥にまみれる。
ああ、帰ったら部屋に土塊が散乱するのだろう。
あゝ、洗濯する前に下洗いせねばならぬのだろう。
噫、ポッケの中にも侵入しとるやんけボケ!
嗚呼、オレの苦手な戦場だ。。。



まず、誰に何を話したかを忘れるのであった。
軽妙でエスプリの効いた下世話で下品なトークが信条のこのオレが
「あのー、その話、もう聞いたよ、つうかあんたにとってその程度な位置づけなわけね」
などという視線にさらされる。

忘却の魔の手は、
昨日の晩飯に何を食べたのか
買うべき食材は何だったのか
試写の修正はどこだったのか
家を出たのはどちらの足からだったのか
織田信長を討ったのは本当に光秀?
などと広範囲に伸びてくる。

あまりの忘却っぷりに不安になり心配になり
脳外を訪れ、医師に鼻で笑われた同胞ありて
我も同じく不安に駆られる。

まずはサプリで記憶力アップ!
お手軽にね。
で、今朝は飲んだいかな。。。。

薄れゆく記憶力は百均で購える文明の利器により補完される令和。
子育てとは不屈が肝要なり。
なぜならば屈するいとまもなく
思いも予定も睡眠時間さえも折られ続けるから。
もしくはそれ故にずーっと屈しているのかも。。。
ヒタイを地に擦り付け続け、首桶状に掘られた穴にずっぽし頭を突っ込んでいるのやも。

いやいや不屈の父は再び立ち上がるのです。
造形初めてかれこれ12年になるのです。
培ったあらゆる技術と知恵を導入するのです。
金属並みの硬さに固まるパテだってあるのです。
調色しての塗装だってできるのです。

父がYouTubeを流しながら渾身で仕上げたモンスターボールを
息子は手に取り「もーん!!」と囀りながら遊ぶ。
はは、よく見りゃ元とは随分違うのにね。
はは、子どもってバカ。
はは、皮で直したやつでもええやないけわれー!!と折れそうな心を支えてみる。
歳を重ねればいろいろなことがどうでもよくなり
心に自由の翼がにょっきり生えて大空を駆け巡るのだ
そのようになるのだ!と思っていたが、
こだわりはますます強くなり、諦念こそが美徳なりなどと吠えてみる。

ムスコがポケモンを発見して以来、モンスターボールを片時も手放さない。
いもしないポケモンを捕まえようと盛んに投げつける。
大人になったら見えなくなるという妖精やらなにやら霊的なものに放り投げているのかも知れぬ。

ポケモンやら霊的存在やらをゲットするのであれば
ぱかりと割れ開く仕様のモンスターボールは必須。
そんな高性能なおもちゃを投げつければあっという間に壊れる。

なんでも直せる。
根拠のない謎の自信に溢れた父は
決して蝶番部分が壊れぬ修繕を施すのであった。

わざわざ皮革を買い、ハズキルーペのバッタもんを駆使し
目をしょぼつかせ小さな小さなカシメで固定しなどと
技術と叡智の結晶として蘇ったモンスターボール。

さぞや喜んで投げつけるだろうと息子に差し出すと、もとの形と異なる蝶番を見てイヤイヤと手で払われた。
こだわりは人間の本能なのだなぁと泣きながら思った。
仕事でもらった台本に小学生の少女が「2100年かぁ、アタシおばあちゃんだわ」などというセリフを発見。
馬鹿言うな!何歳まで生きる気やねん!!って思ったけれど
「もん。もん。」うるさい息子を見れば、2100年で80歳なのであった。

時間ってものは本当に勝手に流れるものなんのだなぁと再確認。
「おまえ、これを好きと言っていたじゃないか!!」と
喜びそうなものを与えガン無視されるってのは子育ての悲しさの一つ。
日々観察している親ですらそうなのに
じいじ、ばあばの選びしものの扱われようったら涙しかない。

息子がポケモンを発見した。
いままで身の回りに溢れていたにもかかわらず
突然にぴかちゅうに気づいてしまった。

起きているときは常に「もん。もん。」と呪文を繰り出し
寝ているときでさえモンスターボールを握っている。

雨の休日。
思い立って子どもらを連れてポケモン映画へ。
息子にとっては初めての映画館。
10分で飽きた娘のプリキュア体験が悪夢のように思い出されるが
所詮は負け戦なのだからなどと自らを鼓舞するなど。

劇場が暗くなりスクリーンに映し出されるポケモンの姿。
「もん。もん。もん。」と息子はずっとスクリーンを指差す。
90分を超える長尺にも関わらず、
スクリーンを見つめ指差し続ける息子の姿に
やっぱり映画とは素晴らしいのであるなどと涙。

開始5分で父にポップコーンをひっくり返された娘の目にも涙。
目が滑って活字が頭に入ってこない。
てなことが頻繁ではないが度々おこる。
リハリビブックの北方謙三に手を伸ばして不覚。
こたびは水滸伝。これはいかん。全19巻。
久々だしと通読してしまう。

負け戦確定の物語。
夢を追い破れ斃れる漢の描写は俗悪なものでもキュンとくる。
滅びる姿はかくも美しきかな。

なんて言いながら「戦争は女の顔をしていない2」を購入。
1巻でそこまでガツンとこず悩んだけれど
衝動買いの嵐に抗する術はなし。

国を守るためにと燃えて戦場を目指す乙女たち。
待ち構えるのは独ソの悲惨な戦争体験ではあるけれど。
それでも彼女たちの語りに
奈落の底に突き落とされるような思いをせずにいられる。
勝利という、さいごのさいごに着地できる拠り所があるのは強い。

大陸にて従軍した祖父から戦地の話などついぞ聞くことはなかった。
よろこび勇んで戦場に向かったなどと敗残の身から発するのは危険にすぎる。

滅びは美しけれど、やっぱり戦争は負けちゃダメ。

と、衝動買いのツケがカードの利用明細により突きつけられ
負け戦の予感に包まれる不穏な午後。