玄奘法師
サンザンXuanzang

彼は3年かけて中国からインドへ訪れ、ナーランダ僧院で17年学び、梵字の経典を中国にもたらし、それがさらに日本に渡たりました。

彼はインドで国家の先生とになり、多くのインド人生徒を教えていましたが、彼の目的は、中国に経典をもたらすことだったので、中国に戻りました。

 そうして、インドの教えは、中国に渡った日本人が学び、日本にもたされたのです。

ナーランダー大学の遺跡の一部は今も残っていますが、1193年にインドはイスラム教徒に侵攻さ、この大学の図書館や経典や仏像はすべて燃やされ、全ての仏教やヒンズーや古代のヨギたちの秘伝や高度な教えは燃えてなくなりました。

また、多くの仏教徒が殺され、多くのヨギーが火炙りにされ、この図書館は半年間燃え続けたと言われており、今日残っている大学は、図書館の壁一面のみです。

そして、本に書かれていた秘伝や内容は、山から逃げ、それを記憶していた仏教徒やヨギたちに守られ「伝授」され続けてきたのです。