アマルナ改革
これから、「アマルナ改革」が行われたアマルナへと向かいます。
この場所で楔形文字で書かれた「アマルナの書」が発見されたため、アメンホテプ4世の時代風景が分かりました。
彼は短い期間でしたが、とても強烈な宗教革命を起こしたファラオです。
それまでの20以上もあった多神教を
「アトン神」だけを信仰するという、
一神教へと変えたのです。
あの円盤のような太陽光線が出ているマークです。
彼はこの神の声を聞き、多数の神官をつくらず、自身が神官となり、ファラオの親族だけがアテン神に仕えることができる…という
完全に…神官たちの反感を買う革命を起こしました。
自らの名も、アテン神にとって必要な者、イクナートン・アクエンアテンに変更したのです。
それまで1700年も続いた多神教の中のアメン・ラーの信仰
この信仰によって、エジプトは遠征での勝利を収めてきたとも言われています。
なので、イクナートンの改革はムチャな改革とされましたが、権力を持ち始めていた神官たちをコントロールするために必要だったのでしょう。
イクナートンの息子が、紀元前1333年頃のエジプトのファラオ、ツタンカーメンです。
イクナートンが亡くなった後、9歳前後の若さで王になり、19歳前後の若さで亡くなりました。
ツタンカーメンの墓を発見したのはイギリス人の考古学者ハワード・カーター氏
ルクソールでは、彼が使用していた部屋に特別グレードアップで宿泊させてもらいました。
彼が使っていた時と同じベットを使用したので、ツタンカーメンの呪いで悪夢を見るかと思ったら
寝心地最高でした
ツタンカーメン、9歳前後に王となったのなら、神官たちの思う壺だったでしょうね…
ツタンカーメンが王になってからは、神官たちの力でアテン神信仰をやめ、もとの多神教に戻されました。
イクナートンのアテン神革命に関わった王族たちの名は抹消され、ツタンカーメンの名は、古代エジプト時代聖地とされたアビドスの神殿にもありません。
以前、アビドスに訪れましたが、魔術色が強すぎて苦手だったので、今回は、アビドスとデンデラは省いてもらいました
では、イクナートンが革命を起こした場所へと向かいましょう