慈恵大師さまのご縁に感謝


横川にお礼参りに行きました。



角大師さまこと慈恵大師さま
素晴らしいご縁をありがとうございます



そう思いながら御堂へと…




お堂内で手を合わせてお礼を伝え終わると

不動明王さまが祀られている左奥から
お経を唱える声が聞こえてきました。

なんとびっくり
これまた…護摩焚きがスタートメラメラ

参拝者もおらず私と息子だけ
なんとも贅沢な時間でした。

ティーチャーコースで繋がっていたものが
どんどん肩から抜け落ちていく

ティーチャーコースの初日は
お堂の右奥のお部屋での護摩焚きでした
元三大師の御住居だった場所です。

そして、確か…同じ日に
根本中堂でも座った途端に護摩焚きが

今回もまた素晴らしい読経と炎メラメラ
鬼の姿の方がはっきりと見えました。

あまりの感動に終了後

「素晴らしい護摩焚きでした。
ありがとうございました。」

っと、お礼をお伝えしました。

そして

ふと、お堂の中で額に入った新聞に目がいき…
読んでみると、2001年に延暦寺内から
元三大師さまの最古の絵が発見されたらしく
その当時は、国宝殿で拝観できたそう

思わず、売店にいらっしゃった方に
今も国宝殿で拝観できるのか尋ねてみると

とても丁寧に調べて下さって、
色んなところに問い合わせて下さいました。

私が捜索して下さったお礼を伝えると
「いえいえ、こちらも勉強になります。」
とのお言葉が返ってきて…感動

結局、年に30日間だけ公開しているけれど
その日がいつなのかは分からないとのこと

拝観できないのは少し残念でしたが

元三大師さまは病気や怨霊を祓われるため
鬼の絵として描かれているのが多いのですが

現在、最古の絵と言われるこの絵は珍しく
とても慈悲に溢れている笑顔のお顔だとか

その20年前の新聞には書かれていたので

この方のとても優しい真心に出会えたことに
とても満足してお堂から出て歩いていると…

先程、お堂内で護摩焚きをされていた方が
隣の建物の窓からお顔を出されていました。

私が深々とお辞儀をすると…

「前にもお会いしたことありますよね?」
っと、おっしゃったので、

「今出川ご住職に護摩焚きをして頂きました。
慈恵大師さまの住居だったところで…」
っと、お伝えすると

ああっー!
っと、あれは12月頃でしたよね…
という話を少しさせてもらい

「ちょっと待ってて下さい!」っと…
急いで表に出てこられて

護摩焚きの時にお供えしていたものと
元三大師さまの物語を描いたマンガ本を
ご丁寧に差し出して下さいました。

先程の方と続けて親切にされたためか
その方の優しい瞳に癒されたからなのか
どっと涙が溢れてきました。

その方はこうおっしゃいました。

「 とても心優しい慈恵大師さまは
その当時の皇室の方々にも慕われており
大師さまを讃えた和歌があります。」

そしてその和歌を詠んで下さったのです。

すべて覚えていらっしゃって
あまりにも美しく優しい和歌で
更に涙が止まらず号泣でした。

泣き終わってからお礼を伝え、
砂利道を戻って行ってると…

また、何かおっしゃってる…

振り返ってみると

「お洋服が裏返しですよ!白いタグが!」

確かに…白いタグが…




「あっ!ありがとうございます!
昨日も同じことを言われたましたあせる
私ったら子どもみたいですね…」

あっはっはっはっと笑いながら…
慈恵大師さまのお墓へと向かいました笑い泣き 

元三大師さまは
912年9月3日生まれ
幼名 観音丸または日吉丸と呼ばれ
出家得度して良源と称しました。

疫病が流行った時代にそれを払い除け
その時のお姿が鬼の形相だったために
角大師さま・鬼大師さまとも呼ばれ


985年1月3日に他界されました。
お生まれも他界された日も3日のため、
元三大師さまとも呼ばれています。

かなりの美男子で説法も素晴らしく
大モテで多くの女性から身を守るために
また、困った方をお助けになるために
神通力で豆のように小さくなられたとか
そのため、豆大師さまとという名もあり

また、他界された2年後に朝廷から
慈恵という諡号(しごう)を授かりました。