なにが正しくて、なにが間違ってる
なんて…わからない

いろんな国を旅するたびに、それを気づかせてくれます。



いろんな国でいろんな価値観があって、そして皆んな…その空間でいろんなことを悩み、いろんなことに気づき、その体験を生かす人もいれば、自らを犠牲にする人もいるけれど、

ほんとうは誰もが、自分という存在を「今、ここにいる」確かな存在として、すべての経験を生かし、この地球や宇宙に貢献する人になれることを知っている存在なのです。

9歳の少女と一緒にいる私は、「今、ここにいる」確かな存在として、自分を表現することができて、とても心地が良い時間を過ごせます。

彼女に猜疑心がなく、なんの駆け引きもない会話だから、こっちも自由でいれるのです。
知識を見せびらかすのではなく、心から伝えたいという純粋なエネルギーを感じとることができるからです。

少女は白と黒が強く色別された美しい瞳で、私にヒンドウー教の神さまについて、いろんなことを教えてくれて、こう言いました。

「 あのね、自分が覚えたことを人に話すのって、とっても大切なことなの。その言葉で皆んなが幸せになって、わたしも幸せになるから、話す言葉は1番のマントラになるの。」


世界各地で知られている「ドラえもん」の話になると、一緒にドラえもんの歌をうたいながらこう言いました。

「 わたしの学校の先生は、のび太君は凄いって!だって、勉強できなくても、のび太君はイメージでいろんなことが出来るようになったから。」

「友だちから『 のび太、あっち 行けよ』って言われて居場所がないみたいだけど、彼にはちゃんと違う次元で素晴らしい居場所があって、それは宇宙旅行だったり、恐竜の時代だったり…!」

「 それでね、それでね、のび太君だけ、どうしてドラえもんと一緒にあんなこと出来るかって言うと、彼は純粋で優しい人だから」

「 まるでドラえもんがのび太君を助けているみたいだけど、ドラえもんとのび太君は、お互いに助けあいながら、どっちらも一緒に成長していっているところが素晴らしいの。」

わたしは少女の口から次々に出てくる言葉に関心しました。
本家本元の日本人の私は…
こどもの頃から観ていた「ドラえもん」をそんな風に捉えてなんかいなかった…

どちらかというと、のび太君は勉強大っ嫌いで怠け者で、ダメダメタイプの印象がインプットされたままだった…。


私たちはそんな会話を楽しみながら…

インドカレー屋さんで、ドラえもんの歌をうたって楽しむのであった〜