私がニュージーランドから一時帰国した時の話です。

その頃の私は、もともと病弱で敏感体質だったのが、身体の中でクンダリーニが覚醒され、見るものすべてが別次元のものとなり、それと同時に、体質も健康を取り戻しはじめている時でした。

それは、クラストチャーチの山奥、映画「 ロード オブ ザ リング」の撮影舞台となった場所でもあり、もう閉鎖された古い教会で受けたエネルギーワークの影響でした。

ニュージーランドで近くに住む友人から、

「 ロウソクが長持ちする方法があるんだって」

こんな誘い方をされ、そのワークショップに参加したのです。

羊がたくさんいる農場に住んでいたので、子ども達が学校に行っている間は、芝刈りや家事をこなしている毎日で、こんなキッカケがない限り、大きなイベントはない単純な毎日でした。

特に何も考えておらず、まさか、スピリチュアル的なエネルギーワークとも知らず、期待もせずに受けたそのエネルギーワークで、突然、クンダリーニが覚醒され、身体の中で稲妻のような電流が走り、燃えるような熱さでぶっ倒れる寸前になったのです。

「 こんな風になった人は見たことがない…」

っと、私にエネルギーワークをしてくれたニュージーランド人さえも唖然としており、まるで変人を見るような目をして私を見ていました。

そもそも、その当時、私は「 クンダリーニ 」という言葉さえ知りませんでした。

その稲妻ようなものを体内で受けた私は、そばにいる友人が目を丸くして驚くほど、しばらくの間、子どもの様に大泣きをしていました。

心がやっと落ちつき、ゆっくりと泣きはらした瞼を開けた瞬間に、見るものすべてがクリアになっており、特に周りの樹々がキラキラと光、孔雀の羽根を広げた姿が眩しく、その時はじめて発した言葉がこうでした。

「 私は生まれ変わりました。」

勝手に私の口からでた言葉でした。

それからというもの、その教会では、光のイエスさまが降りて来て、その神々しいお姿に号泣したり、道端の花のプラーナの美しさに、しばらくの間見惚れていたり… 

日本に一時帰国したその時も、本屋さんで、タイトルが光っている本があったので、手に取ると、「 クンダリーニの覚醒 」と書かれていた本だったりして、意味も分からず、インドの修行僧の方の和訳した本を読んだりしていました。

きっと、私に起きたことが「クンダリーニの覚醒 」だったことを知らせたかったのでしょう。

しかし、私は自分に起きたことと、そのはじめて知る、「 クンダリーニ 」っという言葉の接点を、まだ見つけられないままでした。

そして、その一時帰国の時、たまたま、一緒にエネルギーワークを受けた友人が京都出身の方だったので、その方のご両親が、私とエネルギーワークをしてくれたニュージーランド人のご夫婦に、京都で宿を用意してくれていたのです。

「  どこを予約しようとしても満室だったので、こんな山奥になったのですが、良いでしょうか? 」っと、言われたのが、「 鞍馬山」の宿でした。


そして、鞍馬山のあとに訪れた「 比叡山 」でも、たまたま会話を交わしたお坊さまと、その3日後に、偶然、売店で出くわし、

「 これは、偶然ではありません。明日この時刻にこの場所に来られてください。」っと、

なんだか少々慌てた様子でメモ紙を渡され、次の日、その場所に訪れると、精進料理が用意されていました。

そして、その時に、「 千日回峰行 」という荒業を終えたばかりの方が来られ、私とニュージーランド人ご夫婦、あと知らないご夫婦、この6名で会食をさせてもらったのです。

いまだに、あれはなんだったのか分かりません。

ただ、いろんなお話をその阿闍梨様とさせてもらい、こんなに修行されている方なのに、なんて、面白くて気さくな方なのかと…驚きました。

タバコを吸いながら、「 欲もいいことなんですよ。欲があるから、私たちは成長するのです。」

そんな話をキラキラとした透きとおった目で語っていらっしゃいました。

その比叡山から京都駅に向かう途中、タクシーの運転手が、「  せっかくだから、花見をするといいですよ 」っと、花見ができる場所で私たちを降ろしてくれたのです。

しばらく桜を見て回っていましたが、突然、私の身体が、どこからか引っ張られはじめたのです。

抵抗できないほどの引力を感じ、引っ張られる方向へと歩いて行きました。どこに向かっているのか分からないので、後をつけているニュージーランド人ご夫婦になんの説明もせず、ただ歩き続けました。

そして、たどり着いたのが 、「 仁和寺 」でした。

入口のところで、ニュージーランド人ご夫婦は観光客がいる方へと歩いていき、私1人、ただ体が引っ張っられる方へと向かったのです。

人気のない場所でピタリと足が止まり、目の前には、古くて黒っぽい色をした、倉庫のような建物がありました。

その建物は扉が閉まっており、中は見えませんでしたが、吸い込まれるような強いエネルギーを感じた私は、その建物の前で、しばらくの間、茫然と立っていました。

すると、中から、はっきりとメッセージが聞こえてきたのです。

「 自分の道を歩きなさい。」

思わぬことから、もともと敏感だった五感が更に敏感になり、通常この世では見えない世界、パラレルワールドがあることを知ってしまったものの、家族との暖かい生活を壊してはいけないと葛藤している毎日でした。

母子家庭で育ち、仕事で夜中まて働いている母とは、ほとんど会話することがなく、そんな幼少期を過ごした私は、何がなんでも新しい自分の家庭を大切にしたくて必死でした。

夫にも迷惑をかけられない、でも、目覚めてしまった能力は仕方がない…

33歳の私は、まだヒーラーでもなく、ごくごく普通の主婦でしたが、きっとこれから乗り越えなくてはいけない未来を感じていたのか、不安で胸がいっぱいでした。

「 自分の道を歩みなさい。」

その言葉は、ビクビクとした私の背中を強く押してくれるキッカケとなったのです。


しばらくして、そんな人気のない場所で、かなりの間、茫然と立ち続けている私を見かけた方が、声をかけてきました。

何をされているのですか?

とても上品な和装で身をつつまれた、お年を召した小柄のお坊さまでした。

私は咄嗟に、こう言いました。

 「 この場所から離れられないんです。中から強いエネルギーを感じて…

そのお坊さまは、ポツリっと、優しく丁寧な口調でこう言いました。

あなたは超能力者ですね。

今、思えば、すごいフレーズです。

そして、その言葉の後に、こう言われたのです。

全修行を終えた僧侶が、最終的に、この場所で最後のお勤めをするのです。ここは特別なエネルギーがある場所です。

私は無言のままでした。


その方は、「 私の父もあなたと同じような能力がありました是非、父が書いた本を読んで下さい。」っと言い、すでに他界された、同じお坊様であったお父さまが書かれた書籍を15冊も自宅に送って下さりました。

私はお礼の手紙とお菓子を送りましたが、まだ、ニュージーランドに住んていた頃なので、そのまま連絡することなく、2度とお会いすることもありませんでした。

そして、今回、その仁和寺でヨガのワークショップを行うことが決定したのです。

しかも、私がネットを検索している時に、たまたま仁和寺のHPが開き、それを見ながら

「 いつか、この大好きな仁和寺でヨガを教えられたらな… いやいや世界遺産だし…こんな大きなお寺では無理だよね…」 

っと思った次の日に、知り合いから、突然、「仁和寺でヨガのワークショップをいたしませんか?」っと、私の思いも知らないのにメールが届いたのです。

そして、昨日は、ご挨拶がてら、仁和寺でレクチャーをさせていただきました。

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なんと、去年、ヨギ・アマンディープとワークショップを行った広島の大聖院の座主が、2日前にこの仁和寺に移動されたそうです。

その方はご挨拶回りで忙しくされており、代わりに様子を見に来られたお坊様が、私たちのマントラを聞かれ、是非、次回は御堂でされたらいかがでしょうか…っと提案して下さいました。

私は自分の過去のこの仁和寺との思い出話をしながら泣いてしましいました。

そのお坊様は、「 あなたが訪れた場所は、観音堂ですね。あの場所は大日如来像があり、その前で修行を終える儀式をするのです。葉っぱを上から落とす儀式をするのですが、その葉っぱが散らばったら、最初っから修行をやり直さないといけないんです。」

「  さっきまで、私はこの場所で、大日如来のマントラを唱えていました。」

そう、その方に涙ながら伝えた私でした。

そして、昨日は、この場所で、おおいなる存在と繋がり、強いボルテックの中、Sa Ta Na Ma のマントラが鳴り響き、今でで1番、私がやりたかったヨガをすることが出来ましたお願い

20年近い年月を経て、この仁和寺へ、こんな素晴らしい形でお礼参りをできたこと、心から感謝しています。

ご参加して下さった皆様に感謝です。
あの頃の私にも感謝です。照れ