私が今回のヒマラヤで最も強いエネルギーを感じた寺院がありました。
その場所に訪れたキッカケは、私の長男の歯が腫れたため、お医者から処方された薬を購入するために訪れた薬局から、この寺院が近かったことでしだ。
ヒマラヤでのリトリートの最終日に、96名の参加者全員で、このお寺で火の儀式を行いました。
私はすでに、あの特別の夜、ヨギ・アマンディープとともに6名だけで、2時間にも及ぶ素晴らしい火の儀式、特別なプジャ(供養)を行ってもらったので、全員の生徒を連れて訪れたこの日は中に入りませんでした。
そして、この日は、あの夜ほどの強いエネルギーを感じることもありませんでした。
あの夜の強烈なエネルギーを忘れられない私は、この寺院が気になってしょうがありませんでした。
ただ何となく訪れた小さな田舎の寺院とは思えなかったのです。
あの夜、古代からの何かが私たちを引き寄せ、未知なるパワーに繋げて下さった、そうとしか思えなかった私は、この寺院について調べてみました。
このお寺の名前は、YOGABADRI(Yogadhyan Badr) 寺院 と VASUDEVA寺院と、2つの建物からなっていました。
通称、PANDUKESHWARと呼ばれています。
その由来は、今回訪れたヒマラヤの洞窟に祀られていた、聖仙ヴィヤーサが書いた書物「マハーバーラタ」の中の「バガヴァッド・ギーター」を読むことで知ることができます。
聖仙ヴィヤーサは「バガヴァッド・ギーター」を通して、ダルマ(宇宙の流れに乗って生きること)に基づいた教えを、多くの方に伝えようとしました。
そして現在では、バラモン教の基本概念として貴重な経典となったのです。
この「バガヴァッド・ギーター」は、パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家、両家の争いが描かれている物語です。
パーンダヴァ王家の王位だったパーンドゥは、兄のドゥリタラーシュトラに彼の王位を譲り、妻であるクンティー(本名はプリター)とともに山で暮らしていました。
クンティーは、パーンドゥ王と結婚する前に、バラモンのドゥルヴァーサス仙から神々を呼び出すマントラを教わりました。
クンティーはそのマントラを唱え、現れた太陽神スーリアとの子を宿しますが、その子を箱に入れて川に流してしまいます。
その子は、のちの英雄カルナとなるのです。
これは、モーセが川に流された話しや、いろんな神話の中で、神と近い存在なる者の生い立ちとして使われている表現ですよね。日本だと桃太郎のような昔話です。
そして、「バガヴァッド・ギーター」の物語で中心的な話しでもある、パーンドゥ王の5人の子ども達と、クンティーと太陽神スーリアの子 カルナの戦いが巻き起こっていくのです。
実は、この5人の子ども達、パーンドゥ王の本当の子ども達ではありませんでした。
なぜならば、王を退いたパーンドゥは、ある日、森の中で狩りをしていた時に、間違って、聖仙が化けていた鹿を射殺してしまったために、女性と交わると死んでしまうという呪いをかけられていたからです。
そして、パーンドゥ王はその呪いを解くために、自分の罪を償おうと、私たちが訪れたこの場所、Yogadhyan Badri寺院で瞑想をし続け、ヴィシュヌ神のブロンズ像を設置しました。
この物語から、この寺院はPandukeshwarとも呼ばれるようになったのです。
また一方で、パーンドゥ王は、その呪いのために女性に近づけず、妻クンティーは再びマントラを使い、Yogadhyanを通して神々を呼び出し、子供を授かったのでした。
ダルマ神からユディシュティラ、風神ヴァーユからビーマ、雷神インドラから大英雄アルジュナを授かりました。
また、クンティーは、パーンドゥ王の第2王妃マードリーのために、マントラでアシュヴィン双神を呼び出し、マードリーはナクラとサハデーヴァを出産しました。
この神から授かった5人の子ども達が、5人のパーンダヴァと呼ばれました。
のちに、パーンドゥ王はアラクナンダ川で入浴していたマードリーの裸に欲望を持ち交わったために亡くなってしまいます。
そして、パーンダヴァは亡命していた12年の間に、この寺院に訪れ、彼らの父パーンドゥの葬儀を行いました。
クンティーの息子、大英雄アルジュナは雷神インドラからこの地で祝福を受けます。
そして、パーンダヴァは、亡くなったパーンドゥを追って自殺をしたマードリーのために、女神ラクシュミとヴィシュヌ神の化身であるクリシュナを祀り、もう1つの寺院、Vasudev寺院を建てました。
また、この物語とは別に、この場所がとても由緒ある寺院として有名なのは、もう1つ理由があります。
それは、西暦7年〜8年と栄えていたkatyuri王朝時代の物である5つの銅板と石の銘が、この寺院から発見されたからです。
それはとても貴重なもので、そのうち4枚の銅板はKatyuri 王が保持していたと言われています。
何か王を導く強いエネルギーがこの地に眠っているのでしょう。
そして、あの夜、ヨギ・アマンディープがこの寺院に来れたことをとても喜び、息子の歯が腫れたことに感謝していたのも、この2つの物語と強く関係していることを聞いたからでしょう。
聖仙ヴィヤーサが書いた書物「マハーバーラタ」は、ヨガを学びとるために、とても大切な教科書でもあります。
神が存在するという考えの元で学んでいくバクティ・ヨガ
知識を積んでいき悟りを得ていくギャーナ・ヨガ
行いによって自分の罪を解消していくカルマ・ヨガ
どんな時でも瞑想状態によってすべての感覚を研ぎ澄ましていく、王のヨガ ラージャ・ヨガ
そしてそのラージャヨガの実践によってのモークシャ(解脱)
この物語にも描かれているように、
「どんな出来事も、自分を見つめ直すために起きている」
このような概念を持った上で瞑想をすることは、深い領域から自分を解脱させることができます。
それは、自分が自分自身に与えている「苦」や「罪」に気づくことでもあるのです。
多くの人は、起きている問題やそれに関わる人に対して、「良い、悪い」という善悪の判断を持つだけで、それらすべてが「自分を進化させるための出来事」だと見ることができなくなっています。
そこで苦行が始まっていくのです。
「あの人が悪い、私が悪い」その感情がカルマという世界を引き寄せてしまう結果になります。
起きている問題すべては、要素、原因、時間の流れ、力が加わった結果、出来上がるのです。
なので、その流れを遡れば、「要素」を自らの意志で導き出すことによって、問題が出来上がった方程式を解くことができます。
それは過去世だったり、宇宙レベルのプログラミングだったり、遺伝子だったりしますが、すべては「要素、原因、時間の流れ、力が働いたもの」が、「結果的に目の前で起きている現実になっている」、ということに気づき、ニュートラルな気持ちでその方程式を解くことに集中すれば、そのパターンはもう現実化されなくなります。
それが瞑想の1番の目的ともいえるのです。
神秘的な体験をしたり、能力が備わるのは、カルマという方程式が解かれ、ダルマに繋がり、宇宙意識を持てることによって結果的に起きる、ただの現象に過ぎません。
自分の力で自分の内側を見直し、解放していくことで真理を手に入れるこができます。
問題だと思っていることが、実は問題でないことに気づくことができれば、もう何も自分を悩ますことはありません。
現実的に、人間関係、恋愛、お金、病気、何も悩まされない人生になるでしょう。
それこそが、ヨガの真の目的であり、人生の目的です。
そして、あの日、あの夜に参加できたプジャ(供養)は、今まで行ってきたことの結果として受け取った聖なる儀式であり、新たな扉を開けるために必要なエネルギーを降ろすために起きたことだと知りました。
私が2度目のインド、アルナチャラの山で経験した、計画もなく巻き込まれたプジャのように、今回のこの寺院でも突然行われたプジャは、必要な時に必要なことが起きるという大切なメッセージでした。
そのタイミングを受け取るためにも、つねに自分の器を広げて輝かせていること、目先の損得で動くのではなく、やるべきことを真心を持って行うこと、自分に起きたことを人のせいにしないこと、このことの重要性を深く受け取った出来事でもありました。
人任せではなく、自らが自分を磨いていくことの大切さです。
また、Worldセッションを通して、多くの方にエネルギーを送り浄化するという行動が、さらに宇宙からパワーを与えられ、アルナチャラでもヒマラヤでも奇跡的なことを引き寄せた要因の1つだと実感しています。
どんな時でも与えられたことを笑顔を忘れずに精一杯やらせてもらうこと…
それは自分の波動を高め、次元をステップアップすることに大切な行動だと感じたインドのリトリートでした。
この寺院の背後の山はご神体であり、シバ神の化身であるハヌマンだと言われています。
私にはガネーシャに見えたんですけどね 笑
あの夜、聖仙ヴィヤーサのお導きによって、この寺院を訪れることになり、
パンドゥ王が自分を浄化するために毎日瞑想していたと言われている、この寺院で、素晴らしいWorldセッションをヨギ・アマンディープと一緒に行うことは決まっていたと感じています。
そう言えば、あの夜の前日、アマンディープが私にこう言いました。
「明日、一緒に2時間ぐらい、遠隔セッションのために儀式をしよう」
しかし、当日、息子の歯が腫れて大変なことになっているし、ヨギ・アマンディープは忙しそうだし…
「一体、いつするんだろう…」
っと思ってましたが、頭で考えることなく、場所と時間は与えられました。
私が、初めてインドに訪れた時に、神様の地と言われるアラハバードで行われた、インド最大の祭典クンブメーラで、ガンジス川とヤムナー川とサラスワティ川の合流点に立った時から、すでにこの地での奇跡に向かって走り出していたのでしょう。
その宇宙の波に乗ったまま辿り着くか、途中でその波から降りるかは、やはり舵を握っている自分自身の言動が決定するのです。
どんなすぐれた指導者に出会ったとしても、結果的に道を選択するのは自分でしかありえないからです。
このヒマラヤで見た、サラスワティ川の流れは、私たちのスシュムナーを象徴するものだと、ヨギ・アマンディープは語っていました。
ヒマラヤの地、ヨギ・アマンディープ、そしてWorldセッションにご参加された皆さまに心から感謝を込めて…
ありがとうございます。