スコータイ王朝 1238–1583年
小さな王朝から王国へと栄えたスコータイ王朝は、国王が人民の声に優しく耳を傾けながら守っていく思想の中で、未知なる世界へと羽ばたいていきました。
タイ族はもともとピー信仰と呼ばれる精霊信仰でした。
(精霊ってピーって言うんですね 可愛い)
時代とともにスコータイ王朝の勢力が弱まっていくと、仏教を取り入れることになりました。さらに、アユタヤ王朝へ王朝を任せる頃には、本格的に仏教の教えとして「地獄図」という思想が広がっていったのです。
それは悪いことをすると地獄に落ちるという言わば人民を指導するという意味合いでの内容だったのでしょう。
そして、それとは別にクメール王朝で生まれた、王は神の化身であるという思想もアユタヤ王朝の時に広がり、これはヒンドュー教の教えからであり、人々を統括するためにも必要なことだったようです。
その頃からタイはヒンドュ−教が文学などにも染み渡り独占的な時代へと変化することになりました。
スコータイの遺跡を観察してみると、トウモロコシのような建物があり、ヒンドュー教が栄えた時期があったことが分かります。
さてさて、ここは、スコータイの中で私が最も大好きなワットシーチュム
降魔印を結んだアチャナ仏像があります。
この名前の意味は「恐れない者」
ものすごい巨大ですよね…
なんだかスッポリと大仏さまに包まれているような感覚で心がとても落ち着く場所なんです
ここでももちろん遠隔セッションを受けられている方にパワーをお送りしました。
次なる遺跡は…
ワット・サパーン・ヒン
300メートルの石畳の道を小高い木々の揺れる音とともに登っていくと
アッタロッド大仏が祀られています。スリランカから伝わった上座部仏教によって、このような立仏像と本堂がたくさん建設されたのです。
タイではラームカムヘーン王の時代、1270年後半から1300年頃までに上座部仏教が広まっていきました。ラームカムヘーン王は像に乗ってワット・サパーン・ヒンまでやって参拝しに来てたと石碑に記されています。
伝統的な上座部仏教は静止のサマタ瞑想から観察のヴィパッサナー瞑想と移行しながら自分を高めていきます。
サマタ瞑想とはインドからある瞑想法です。
呼吸を数えることを意識するアーナーパーナ・サティと身体を観察することを意識するように移行する安那般那念があり、これは集中力を高めることに重点をおいています。
ヴィパッサナー瞑想は釈迦がもたらしたものです。
ヴィパッサナーとは「分けて観る」、「物事をあるがままに見る」という意味であり、この瞑想法は「今に完全に集中する」、どんな時でも「今、ここの自分」を感じていく気づきの瞑想とも呼ばれています。
「今、この瞬間を生きる」ことが私たちを幸せへと導く方法であるという宇宙のメッセージと同じですね。また、そうなるように過去、現在、未来を1点に繋げていくというアインシュタインの言葉でもあります。
そして釈迦が広めた瞑想の中に、慈悲の瞑想というものがあります。
それは自分の幸せや成功を願い、自分の親しい人、嫌いな人、自分を嫌っている人、生きとし生けるものすべての人の成功や幸せをも願うという教えから生まれた瞑想法なのです。
これは私が苦しい時代に神道の教えや、キリスト教の教えの中でも学んだ内容です。そして宇宙から最も大切な教えでもありますね。
また、「今この瞬間を感じる」というのも宇宙からのメッセージと同じです。
これはすべてのシナリオは自分が進化するために宇宙と一緒に作ったプログラミングであり、その宇宙の仕組みが分かっていますっという意思表示にもなります。
それが分かっているということは次のステージに行くための試験にパスしたようなものなのです。
そのステージに行くと、生きることが一気に楽になり、何かに悩まされることがほとんど無くなるので、常に平和で安定した感情の中で生きられる至福の領域に入ったことになるのです。
また四念処(四念処観、四念住ともいう)という瞑想法もあります。
この瞑想法はヴィパッサナー瞑想のとても大切な部分だとも言われているそうです。
「身・受・心・法」
身体、感受(快不快)、心(感情)、法( 思考対象)
つまり瞑想によって、自分の体や心を観察していき、感じること、快楽そのもの、現実そのものをどう捉えていくかによって人生の選択が変わっていきます。
内側を感じていくことで、現実そのものが変わっていく体験をしていくと、外に求めることはなくなり、内なる精神やそれを超えた領域があることが分かるからです。
釈迦が最も大切にした純粋な意識…
それをインドの旅へと更に強めていくための道しるべとして、この地でたくさんの釈迦のエネルギ−と繋がって皆さんのハートへと届けていきました。
ここに書いたように…伝統的なヨガを鍛錬していく上で、ヨガマスターであった釈迦は大切な教えをとても分かりやすく私たちに解読してくださったのですね。
感謝のみです