「君、日本人だろう?さえきさん知ってる?」運転手さんが突然私に言った
「さえきさん?」 有名人なのかな…知らないな~~
「じゃえきさん だよ!」運転手さんがまた繰り返した
じゃ〜えき~~?じゃ〜〜 ジャッキーさん? あ~~!もしかして~~
「ジャッキーチェン~~!!!!!!」なんと、ここでもジャッキーチェンの名が
「イェ~~イ!!!!!! そうだよ ジャッキーさん! 日本人だろう」
「
違うよ彼は香港の人だよ」
どうやら、こちらの人はアジア系はみんな同じだと思っているようで、特にジャッキーチェンは日本人だと思っている人が多いみたいなのです。
彼の笑顔と仕事に対する信念や姿勢は、インドの方にとってはとても魅力的なようです。確かに…映画の中でのジャッキー・チェンは、戦う時は素晴しい集中力だが、普段はユーモアたっぷりで笑顔でいる…そんなキャラクターを演じています。
うお~~! 今回のWorldセッションのテーマのようではないか
そして、私たちが生きていくために大切なことを彼は身体をはって映画の中で表現してくれているのです。
彼こそ…インドの方にとってはアジアの神様的な存在なのかもしれない。
私はいつも思う、日本においてもアイドルやスター達は多くの人達を癒して感動を与えてくれる神様的な存在として生まれて来ているんだろうっと…
昔ならば宗教の神様がそういう存在であって、彼らを見るだけで笑顔をもらい元気になり、そして心のよりどころになっていたのでしょう。
私がミーナクシー寺院で経験したように、私は過去生でヒンドゥー教に助けらていました。それは時代とともに形を変えていくものであって、救いを求める人達が何を感じ、何に価値を見出すのかが大切であって、生きてくのに大切な生命の綱を与えられのであれば、どのようなものも、自分にとっては神様になるのです。
そして運転手さんはこう続けた…
「ジャッキーチェン・シスター~~! 君はジャッキーチェン・シスターだ!」
がはっはっはあはあは〜〜 私は1人でも笑わずにはいられなかった
私が、「シャンハイ・ナイト」という映画に出演しているらしい、ジャッキーチェン・シスターに似てるというのだ〜 どんな人だろう…興味津々の私であった
さあ~目指すは、インド最南端にある聖なる海と言われているカンニヤークマリKanyakumari のコモリン岬です。
3つの海からなる、この海岸は、インド人なら1度は行ってみたい聖地なのです。
ミーナクシー寺院から5時間ぐらいかかっただろうか…
到着した時は、もう夜中でした。
またもや、タクシー運転手おすすめの宿にしてもらいました
すごい!海沿いで角部屋!なんとお部屋からサンライズが綺麗に見えるらしい
こんな夜中に行き当たりばったりで最高の条件!
ただし~~!写真を撮って、worldセッションするにはね…あはっ
だって〜〜すごいボロボロ女性はきっと嫌がるティストでしょう
牢獄のように鉄パイプで部屋の窓は覆われていて、まるで、刑事が星を張っている場所のようだった。あんパン片手に牛乳飲んで、もしくはドーナツにコーヒ? ここはインドだから…マサラティにカレーパン?
まあまあ、そんな雰囲気たっぷりの宿です。
ここで映画を撮影してる…って思えば、大丈夫 大丈夫
そう~~! 私は映画のヒロイン ジャッキーチェン・シスターなのら〜
夜が開けるまで星をいや、太陽を待たなくてはいけないのである〜〜
がはっはっはは~~
もちろん蚊もいるから、なかなか寝られない…もはや私の憩いの寝場所はタクシーの中になっていたのです。
夜明け前になると、すごい~! たくさんの人がサンライズを一目見ようと真っ暗な中、集まっているではないですか
ここは地元でも有名な観光地なのです。
私は、この場所にたくさんの悲しみがあることを感じました。
もともとインドの原住民ドラヴィダ人はアーリア人から追いやられ、この南インドに逃げて来たこともあり、その悲しみが伝わってきたのです。それは、のちに今回の旅で更に深く感じることになります。
彼らは、途方にくれた暗闇の中で、昇っていく陽を見ながら、きっと明日の幸せを願ったのでしょう。
もともと、ヒンドゥー教は、自然界を崇拝しており、そして子ども授かり産むという偉大なる女性を敬っていた宗教でした。
ドラヴィダ人は性格的にも性的にも自由奔放な感覚で生きており、すべてに対して前向きな考えだったようです。とても明るくユーモアたっぷりな性格だったのが、時代とともに、彼らの笑顔は奪われていったのです。
アーリア人の侵略とイギリス人の植民地としての侵略、仏教さえも彼らを癒してくれませんでした。そして、新たなヒンドゥー教が生まれることになったのです。
それはカースト制を残したまま、男性の性器そものを崇拝するような内容に塗り替えられ、一夫多妻制を正当化するように、シヴァ神の妻が化身としていろんな女神に変化することで現しています。
女性は偉大なる男神にひざまつき祈るように指導され、それはインドの現在の習慣でもまだ残されているのです。
私はこの時代のヒンドゥー教を批判する気はまったくなく、
ミーナクシー寺院でシバ・リンガという男性の性器をシンボルとした神様に過去世で助けられたことを思い出して号泣したぐらいでした。
政治的な力が働いていたとしても、それは、その時代に必要なことが起きており、辛い思いをされた方がいるからこそ、どんなことも無意味だったとは思いたくないのです。
バリ島でもたくさんのひざまつく人達を見させてもらいました。それで彼らは救われ、抱えている問題に対して現状態で癒されているのであれば、それはそれでいいのです。
そして、これからの時代はもっと自由な気持ちで生きて行くことも出来るのではないかな…っとも思っています。
昨年、訪れたインドのアルハバードは3つの河、ガンジス河、サラスバティー河、が重なっていた場所で、インドの中でクンブメーラという大切な式典の最も重要な場所になっています。
ここカンニヤークマリもアラビア海、インド洋、ベンガル湾の3つの海が重なっており、インドでは、そういう場所がどうやら神聖な地として崇められるようです。
それは貿易とも深く関係があったのでしょう。
多くの方が登っていく太陽に手を合わせ祈る姿はとても美しかったです。
私も彼らと同じように手を合わせて太陽に祈りを捧げてみました。
面白いことに目を閉じている私に見える映像は世界地図でした。離れている大陸がすべて近づき、そして繋がっていく姿が見えたのです。
それは、私たちの意識改革が必要だということを示唆しているようでした。
私たちはもともと1つの存在であり、姿を変えて別離していったのです。
その姿は美しいと崇拝されるものであったり、奴隷のように虐げられる存在だったりします。しかし、それらは全て自分の中で起きていることであって、どんな状況の中でも、精神を統一させ安定することが大切なのです。それが仏教の中でも言われている精神統一の境界なのかもしれません。
どんな時でも心の波を鎮めていけば必ず何が自分にとって、何が必要なのかが分かるはずです。
悩みを抱えて私のもとにやってくる方の中にも、仕事の問題やストレスが解決したとしても、次は恋人の問題、そして周りが良くなっていく姿に取り残された自分を感じ、その人の悪口を言うことが解消法になっている方がいらしゃいます。
お金があったとしても、それを守っていくことが不安になり、ビクビクしながら生きている人もいるのです。
すべてが悩みになる人
すべてに感謝する人
自分が好きなことを望めばいいのですが、ただそのために何が正しいとか間違っているとかの争いが起きることが1番辛いことであって、真実は自分が選べばいいのだと思います。
大切なことは相手を敬う気持ちであり、どんな時でも相手の中に愛と光りを見つけ、そのためにも自ら相手に愛と光りを送ることなのです。
もっと進化を望む自分から、離れていく相手を引き止める必要もないのです。
自分の気持ちを相手に表現することも大事ですが、表現する必要のないと感じる人は、愛と感謝を持って決別を選択して、更なる進化のためには自分を守っていくことも大切なのです。
私は、ほとんど寝ない状態で朝を迎え、水道の蛇口をひねり、大きなバケツに水を溜めてみました。やった!お湯が出る!
インドの安い宿ではお湯が出ないところは多いので…そんなのに慣れていたせいか、お湯が出ることに感動桶でお湯を身体にかけるたびに幸せを感じていました。
本当にありがたいこのお湯だけで疲れが吹っ飛びそうだった
さあ、2時間ほど仮眠をして、目の前の小さな島へとボートで渡ろう
旅はまだつづく