成田空港になんとか、なんとか千佳は到着しましたーーーーーーーっ!

{DAF51D9D-D3A4-4BEC-88C6-F7D07FF00720}



出発前から、すでに秘宝のヒマラヤジャーニーは始まっており…

渋谷駅に到着すると、成田エクスプレスは台風の影響で止まっており…

タクシーでセルリアンタワーへと
慌てて、電話で成田行きを予約したものの、かなりギリギリの時間到着なので、1時間前のバスに乗れればと思っていたら、出発前の3分前に到着!

やったー!  いつも私は、セルリアンタワーからリムジンバスを使っているので、バスの前に立っている女性に問い合わせると、予約してなければ無理だと断られてしまったガーン

何度かこの状況にでくわせたことがあったので、
「この後のバスをさっき予約しましたが、こちらでも間に合えば大丈夫なはずですよ!」
まだ、荷物も預けられる状況だったし、席もかなり空いていたので、何度もお願いしたけれど断られてしまった…

1時間のロスは大きい…
タクシーも、定額でさ無理だし
バスは  シューっと、私の落胆した気持ちのように去って行ってしまった…

2階のロビーで、さっき電話で予約した時間通りの切符を買いに行って、事情を話すと

「バスが発車してなければ、予約してなくても乗れますよ。しかも、セルリアンタワーから直接成田空港行きなので、空席もありましたし…」

とても感じの良いフロントの方が、そう言ってくれた。

「ですよねー!」私、予約なしでギリギリで乗せてもらったこと2度あるので!

何度もフロントの女性のお二人は頭を下げながら謝って下さって、心がどんどん優しいに満ちていくのを感じていた。

まーランチでも食べるかーーーーーーーっ!
今回は長男と一緒なので、2人で美味しいサラダを食べて、なんだかとても気持ちが楽になった!

地球って素晴らしい!
こんなに美味しいものを五感で楽しめる照れ

昨日も長男とインドの旅のお買い物に行って、何度も店員さんと爆笑した!

どうやら、私の天然ボケがツボにはまったらしく…
「こんなに笑わせてもらって、幸せな気持ちになりました」と…お礼まで言われてしまったびっくり

1450円の支払いに2千円出すつもりが、200円を差し出して、ジーっと待っていたので、その時の空気の流れが、どうやら、かなりおかしかったらしい…

次のお店でも、私の行動に何故か店員さんが爆笑

私….だいじょうぶかなーーーーーーーキョロキョロ

さてさて、インドから戻ってきたら、また比叡山へと向かうつもりです

千日回峰行者による祈祷に参加してみたいと思っています!

まだ、インドにも到着してないのに次のプラン?

この千日回峰行を2度終えた方は過去に3名しかいないそうで、、天台宗の故 酒井雄哉さんという、ご住職さまがおられます。

彼の人生は壮絶なものでした。
大学に入るものの、卒業が危ぶまれて、海軍航空隊へと入ります。それから、特別攻撃隊員となり、戦後は職を転々としています。

火事で廃業になったり、1億円の負債を抱えたり、奥様が命を絶たれたり、それは大変な思いをされた様です。

それら全てが、のちの彼のパワーになったことは間違いありませんね。

私になんとか千佳さんと言われた、ご住職さまですが、瀧口さまと言われます。


実は、朝のおつとめの前日に、参加名簿の名前を見ておられて、私の名前にスポットがあたったそうです。

そして、こんな素晴らしいお言葉をいただきました。

ダウン
お名前にスポットがあたるときは、

「私が世界を見ているのじゃない、世界が私を見ているのだ」

と感じる時でもあります。


そして、その後なんとなく思ったのは、「千佳」というお名前がとても素晴らしいなと。

そして、「時任」という名字と重なり、アップしているのだと。


平安時代の伝教大師の直筆には「照千一隅」ということが書かれていました。


この「一隅を守り千里を照らす」と「千佳」さんのお名前が重なって見えました。

隠れたる「一隅を守り」、

表には、みんなに良くなってもらいたい(一乗)気持ちで「千里を照らす」ことをされていると。

そして「佳」という字をを見てみると、

 姿形が整って美しい。「佳境・佳景・佳人・佳麗/絶佳」
2 すぐれている。りっぱな。「佳句・佳作・佳品」
 機がちょうどよい。めでたい。「佳日・佳辰 (かしん) ・佳節」
[名のり]よし

とあり、

字源は「人」+音符「」、「圭」は土をピラミッド状に積み上げ形は整っているさまを表す。

ピラミッド状に積み上げ形は整っているさま!?

まさにネフェルティティの神と人との交流の世紀にも通じますね。

総じて「千佳」というお名前は「一隅を守り、千里を照らす、姿形整った解放者」といえるかもしれません。






止観 止:サマタ瞑想、観:ヴィパッサナー瞑想として世の中に広まりつつありますが、


千佳さんがお体の調整をかねて、瞑想をすることを自然と身につけて来たことは、

その時はさまざまな辛さから修行や苦行と振り返ることもできますが、元来、苦しいことが修行ではなく、

きっと千佳さんを今あることへ導いた「修養」だったと思います。

「信じる力は修行によって深められ、修行は学問を求め、学問は修行を生み、修行は信じる力を育みます」

修行には終わりはなく、悟ったと思った瞬間それは悟りではなくなります。



本当に素晴らしいお言葉です!

私も悟ったと思った瞬間に、悟りではないと思っていました。

永遠に進化は続きます!


では、インドに出発です✨