去年の3月11日から

今日という日付はカレンダー的には特別な日になった。

でも、いつもどおり淡々と一日を過ごしている。

先週の内に終わらせられなかった仕事があるので

事務所にウォーキングがてら向かった。


歩いたなー、去年も。

7㎝ヒールのブーツで、

立体駐車場に停めた車の中からコートを取り出すことも出来ず、

薄着のままで日本橋→神谷町→広尾→高輪→芝浦と。


今日はお天気がいい。

ちょっと肌寒いからダウンジャケットを着て

スニーカーを履いて

いつもよりペースを上げて歩いた。


20分くらいして、適度に汗を掻くくらいになって

調子よく歩みを進めていると


ポカンと頭の中にすらすらと

ある文言が浮かんできた。


ミッション系の学校で

毎朝礼拝のときに諳んじていたあの文言。

何年ぶりなのか、十何年ぶりなのか、何十年ぶりなのか

分からないけれど

頭の中の引き出しが開いて

春間近の空に向かってつぶやいていた。



信仰心が強いわけでもなく

どちらかといえば信仰とは遠いところで

行動をしている自分ではあるけれど

若きあの頃に義務のように聞いたり読んだりしていた

ある一定の倫理観は

今の私の一部であることには違いない。



ただ、どうしても

ボランティアとか復興支援とか

私の中には芽生えるものがなく

「やった感」のある近道(募金)で自分なりに収めていた。

変な後ろめたさ。

それが私自身を少し堅くしている。



今日、ポカンと浮かんだあの文言。

ひさびさに諳んじているうちに

自ら複雑化して硬直化させている現実を

もう少しシンプルにできるのかな、と思えてきた。



自分に染みこんでいる倫理観。

そこから浮かぶ思いや発想に

素直になってみよう。

今日、ぽかんと浮かんだように

自らがその時を教えてくれる。

それがクリエイティブであることだ。





   「主の祈り」

   天にまします我らの父よ
   願わくは
   み名をあがめさせたまえ
   み国を来たらせたまえ
   み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
   我らの日用の糧を今日も与えたまえ
   我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
   我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
   国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
   アーメン





このあとも、無事に家路につけることを願いつつ、

あと少しお仕事をしよう。