日本橋で会合に出席している時に地震に遭遇。

会合には仙台からの社長、東北地方からの社長も多く、

皆さん、自社がどうなっているか心配していたけれど

現地と全く携帯も電話も繋がらず心配そうだった。

あの方々はどうやって地元に帰ったのだろう。

すぐに勤務地が離れている夫から安否確認の電話が入る。

内心取り乱していた私に

落ち着きと、事の重大さに対処する自覚をもたらしてくれた。


日本橋まで取引先の社長の車で行ったのだけれど

立体駐車場が停電し、

その車が取り出せる目処が立たなかったので

その取引先の神谷町のオフィスまで徒歩で帰ることにした。

その社長とは仕事でもかなりの難関を一緒に越えたのだけど、

まさか、こんな場面も一緒に過ごすとは思わなかった。

「これはかなり記憶に残るな、大塚!」

と言われながら、一路神谷町へ歩みを勧める。


途中、ビルの外壁がぼこっと歩道に落ちていて

急に自分の頭にヘルメットがないことが不安になった。

幸い、だれもそれに当たっていないのだけれど

地震の時にむやみに建物から外に出てはいけない、と

強く思った。


途中の銀座の百貨店やブランド店など通りすぎると

あきらめなのか、大丈夫と踏んでいるのか

のんびりとお買い物をしている人達と

既に徒歩での帰宅を覚悟して歩き始めている人と

困惑して百貨店の入口や歩道に座り込んでいる人達の

異様なまでのコントラストが気味が悪かった。

ふと釜石の知人は無事だろうかと空を見た。


歩けば歩くほど、歩いている人が増えてきて、

こんなに人がうようよといる街なのかと驚いた。

みんな、黙々と歩いている。

歩きながらメールを打つけれどなかなか繋がらない。

ツイッターで姉がバイト先から自宅まで

歩いて帰っていることを知る。

その他仕事先の人など、無事なことを知る。

ツイッターの即時性はすごい。

入院中の父の所に見舞いに向かっているはずの母とは

携帯もメールもなかなか繋がらない。

1時間遅れで母からメールがやっと届く。

母にもツイッターを始めさせようと思った。


道すがらお酒のイイにおいがすると思ったら酒屋だった。

若いお兄ちゃんが一生懸命掃除していた。

大変だね、頑張って、と思わず声をかけた。

通りすぎてきたバス停には長蛇の列があった。

地下鉄の入口では駅員さんが復旧の目処は付きません、と

頭を下げていた。あなたのせいじゃないよと、思った。


やっと神谷町のオフィスに着いたとき、

エレベーターの扉が開いてとても嬉しかった。

もう、このブーツで10階まで階段を上がるのが嫌だった。


都市の機能は、ビルが壊れていなくても

簡単に麻痺させることができるのだな。

通信と、足下を狙えばいいのだ。


神谷町のオフィスについて

初めて地震の被害状況をTVで見た。

揺れの映像、津波の映像、レポーターの悲壮な声。

震源地近くでの地震そのもののすさまじい破壊力を

3時間遅れで知る。


釜石の知人はもちろんのこと、

この地震に遭遇した人が一人でも多く

無事でいますように。


今、事務所に戻って、

想像していたよりひどくなっていなくて

ちょっとほっとした。

仕事はできる状況は保てている。


デザイナーさんから上階の水漏れで

Macが被害を受けたとメールが来た。

なんということか。

天災はどこまでも影響する。

デジタルデータなんてひとひねり。


バックアップを取って帰ろうかしら。

いやいや、自宅も心配だから今日は帰ろう。

その後、

無人の実家に一匹のこされているネコに餌をあげなくちゃ。


へんなテンションだけど、

とにかく無事です。

みんなも無事ですか?

$空間の神は『エロス』に宿る