10年くらい前に、読んだ本。
誕生日から決まる運勢のようなことを説いた本。
その誕生日に生まれた人の生き方を比喩する物語が書いてあった。
以下は私の誕生日8月11日に生まれた人の生き方の物語。
二股に分かれる峠道のそばに住む「私」の家には
峠を越える旅人が
「すこし休ませてください」
と いつも訪ねてくる。
そして「私」はいつも一服のお茶とお団子を
その旅人にふるまってはニコニコと旅の道中話を聞いている。
旅人は
「この先の分かれ道、どっちに進んだらいいのでしょう?」
と「私」に訪ねるので、これまでの旅人から聞いた話から
「こっちの道はこんな道中で、あっちの道はあんな道中ですよ」
と話を聞かせると 旅人は
「では私はこっちの道で行きます」
とにこやかに また旅の道を進み始める。
「私」は旅人にお茶や団子をふるまうことに 見返りを求めることなく
団子を作りつづけ、ふるまいつづけ、
そこにいることに喜びを感じる、ある種「無償の愛」の人です。
というようなお話だった。
無償の愛などという崇高なものは持ち合わせてないけど、
なんだか最近、人の人生の岐路に立ち会う瞬間が多いなぁ。
ちゃんとお茶とお団子ふるまえているかなぁ。
誕生日から決まる運勢のようなことを説いた本。
その誕生日に生まれた人の生き方を比喩する物語が書いてあった。
以下は私の誕生日8月11日に生まれた人の生き方の物語。
二股に分かれる峠道のそばに住む「私」の家には
峠を越える旅人が
「すこし休ませてください」
と いつも訪ねてくる。
そして「私」はいつも一服のお茶とお団子を
その旅人にふるまってはニコニコと旅の道中話を聞いている。
旅人は
「この先の分かれ道、どっちに進んだらいいのでしょう?」
と「私」に訪ねるので、これまでの旅人から聞いた話から
「こっちの道はこんな道中で、あっちの道はあんな道中ですよ」
と話を聞かせると 旅人は
「では私はこっちの道で行きます」
とにこやかに また旅の道を進み始める。
「私」は旅人にお茶や団子をふるまうことに 見返りを求めることなく
団子を作りつづけ、ふるまいつづけ、
そこにいることに喜びを感じる、ある種「無償の愛」の人です。
というようなお話だった。
無償の愛などという崇高なものは持ち合わせてないけど、
なんだか最近、人の人生の岐路に立ち会う瞬間が多いなぁ。
ちゃんとお茶とお団子ふるまえているかなぁ。