実は、縁があって来月から障害者の団体のお手伝いをする事になった。
いろんな関係で、週1回だけなのだけれど。
そこで障害という事を考える。
障害者と言う言葉自体、優生思想からきている気がする。
だからここではあえて、肉体的弱点と言おう。
たしかに、団体生活をする時、肉体的弱点があると大変だと思う。
でもきっと弱点がある人は、それ以外の点で人並みはずれて優秀なところがあるはず…と私は思う。
私は、いつの頃からか、「人と同じより、人と違う方が素敵で面白い」と思う様になった。
今の相方と出会ったのは40代半ばを過ぎたところだった。
その頃私は、家庭内離婚6年目。
自立して離婚する時期を悩んでいた私は、既に離婚経験があり、親の介護をしていた相方に相談していた。
程なくして、店を持つ事が出来た事と母が認知になって引き取ることになった事であっさり離婚できた。
その時は、とにかく何もいらないから別れたいと思った。
それと引き換えに、母の長い介護生活も始まった。
整体師である私は、(後に姑となる)母親を介護していた相方とはとても話が合って、相談に乗ったり相談したり…。
施術に通うようになって、姑ともとても気が合い、話が面白くて会うのが楽しみになっていった。
介護している実母とはどこかギクシャクする関係になって行くと、姑の言葉でかなり救われたものだった。
考え方も 話す言葉も、自由で楽しい人で大好きだった。
ある時姑から、相方の小さい頃の話を聞かされた。
とても出来の良い子で、誰よりも期待していた事。
それがかなり「期待はずれ」になって行った事を話してくれた。
私は聞いていて、悲しくなったのを思い出す。
興味のあることにはとことん追求して会得してしまう所は本当に尊敬に値するのに、苦手だと思う事は初めから見向きもしない。
そのギャップはなぜなのか、ずっと理解できなかった。
相方は色弱という身体的な弱点があった。
実は、私の父も色弱だったので、若い時辛い思いをした経験がある。
母から、色弱の人との結婚は認めないと言われ、付き合っていた人と別れたことがある。
理不尽な考え方に反発する思いもあって、遺伝の事をかなり調べたけれどどうにもならなかった。
色覚異常はX染色体で遺伝する為、隠れて女子に受け継がれる。
劣勢遺伝のため正常なX染色体が反映するので、X染色体が2つある女子は一般的に症状が出ない。が、遺伝子は持っている。
すなわち、症状が出なかった男子は色覚異常のX染色体を持っていないと言う事になりそこで終わる。
が、女子なら確率は少なくなるが、隔世遺伝することとなる。
だから母親も気づかないことが多い。(多分姑も)
私の場合、母が異常なほど遺伝の事を言っていたので強く意識していたのだが…。
父は戦時中、志願して海軍に入ったものの、色弱だったため飛行隊には入れなかった事が、相当ショックだったらしい。
でもそのおかげで私は生まれたことになる。
なぜなら、入れていれば時期的に特攻隊だから命は無かっただろう。
母は、色弱の人の職業差別を知ったのだと思う。
「子供のためには、まず色弱の人とは結婚しない事。」
小さい時からずっと言われ続けて来たことだ。
でもね、好きになったり付き合う時に、そんな事確認しないでしょ。
初めて結婚を考えて付き合った人が、色弱だと分かった時私は絶句した。
その事で母に反対されている事を口にしたあと、徐々に2人の間がギクシャクして、私が逃げるように離れたことが遠い記憶の中に…。
相方との出会いが若い時じゃなくて良かったと思う。
まぁ、お互いに若い時に出会っていたら付き合わなかったね。というくらい、好みと正反対のタイプの人だったから無かったかな。
人の好みって自分とかけ離れている人に憧れるらしい。
そして、実際暮らしてみると苦労して、疲弊してしまう。
私も相方も、初婚の時はそうだった様で…。笑笑
今はお互いに末っ子同士でけっこうぶつかるけれど、笑っちゃうくらい気持ちがわかる。
一緒に生きて行くなら、その方がしあわせに近いと思う。
色覚異常の事は、一緒になる前から聞いていた。
でも、もう子供を作るわけでもないしね。
先日、色覚異常を矯正できる眼鏡があると知って、相方が買いに行くと言った。
結構高価な物だったが、相方の喜ぶ様を見て私も嬉しくなった。
今検査をして、出来上がりを待っている状態だけれど。
帰って来た時、相方の口から初めて聞いた辛かった記憶。
頑張って入った私立中学が工学系の学校で、色覚異常のある人に先は無いと言われた事。
姑にその事実を言えないまま公立高校を受験するあたりから、姑に「期待はずれ」のレッテルを貼られてしまう。
私なんかより、ずっとずっと辛かったはず。
私は色弱と言う弱点を、自分の視点からしか見て無かった事に気づく。
今思うと、大昔別れた彼は大層傷ついたに違いない。
勿論、色覚異常が別れた直接の原因では無かったけれど…。
そして今、父を想う。
「パパは色弱なんだよなぁ…お前はちゃんと見えて良かったよ。」
と、私が小学校入学した時に言われた事をおもいだす。
よく考えたら、父が色弱の事を話したのはこの時1度だけ。
あとは、全部母からだった事に気づく。
どんな思いがあったのか、今父がいたら聞いてみたい。
あれから半世紀以上。
時代が解決してくれる肉体的弱点も増えて来ると思う。
だが、再度言いたい。
弱点を持って生まれてくる子は、他の面で誰よりも優れた点があるはず。
それを見つけられた人は、幸せなのだと思う。
そして、見つけてあげて欲しいと思う。
障害者というくくりも、それも個性なのだと世の中から理解される時が来る事を願うばかりである。
