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三光地域おこし通信

三光の地域おこし協力隊のぼちぼち更新ブログ

 

 

如水保育園のヒツジ小屋づくり

 4月に入って、休みの日に如水保育園のヒツジ小屋づくりのお手伝いをしています。

 

1回目 4月8日 小屋の基礎

 こんな空の日

 

 建設会社の先生の指示で、みんなで縁石でサークルづくり。

 

2日目 壁張り作業

 壁材に白色のペンキ塗り。

 塗った壁材を張り付けて、なんとなく形になってきた。

 

3日目 壁塗りと屋根の骨組みづくり

 こんな感じの屋根に。 レシプロカル構造っち。  むずかしそう。

  

 お父さん方が一生懸命屋根の骨組みづくり。

で、

 

 よぉ 綺麗に出来ちょる。ほんとよぅ出来とるよ。素人だけで。

 

今あと、屋根の下地を張るんち。

 

 どんなんが出来るんやろ~か ヒツジ小屋。

 

 

 

 

長谷寺でお接待。

 長谷観音大祭が行われ、岡部観栄住職による般若心経やご真言の唱和の後、護摩焚きが行われ、その後 住職の講話(漫談?)、餅まきが行われた。

 

大久山 長谷寺(なかつ観光https://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2015071000116/より)

 「山号を大久山と呼ぶ。長谷寺縁起によれば、大久山の窟は孝元天皇の22年、はじめて神を祀った地である。

天武天皇の甲辰(704)の秋、僧仁聞がこの岩窟に留錫していたある夜、白髪の神仙が枕もとに現われ「汝、此処に十一面観世音の像を彫刻し安置すれば、永く鎮護国家の道場となるであろう」といって立ち去ろうとした。仁聞は神仙の直衣の袖にすがって「あなたは、いかなるお方でしょうか」と尋ねたら、「われは白山権現である。この山に垂迹してそなたを長い間待っていた。そなたがわが思いに従うならば、私もまた永くこの地に留まり、法燈を守護しましょう」といって姿は見えなくなった。仁聞は夢から覚め、たいへん喜びすぐに霊木を求めて、一刀ごとに三礼し、坐像1尺余りの観世音菩薩を彫刻し、脇士として御丈約3尺の不動明王及び毘沙門天の立像を副え、この岩窟に安置した。

 

 元明天皇の和銅年間(708~714)に比古山(彦山)及び紀州熊野権現の神勅を蒙り、法蓮及び仁聞の西国33ヶ所観音の霊場を開くにあたり、第2番の札所に列せられ降盛をきわめた。しかし、寺運の盛衰は免れ得ず、順徳天皇(1210~1221)の頃には、本堂の屋根は漏り壁も落ち、仏像は雨露にさらされそうになったので、建保2年(1214)の夏、岩窟に沿い4間に3間の本堂を再建した。

 

 本尊の観世音菩薩の霊験は、殊のほかあらたかであったので、歴代国主の武運長久、家内安全のご祈念所であった。しかし、天正年中、野中兵庫守鎮兼、邪宗門のため諸堂ことごとくを焼いてしまった。しかし、不思議にも三体の仏像は岩窟の一隅に避難せられ難をのがれた。

 

 国主細川越中守忠利公の北の政所は、当山に帰衣殊のほか深く、嗣子を恵まれるよう本尊の観世音にご祈念されたら、示現のとおり本誓に違わず玉のような一男を授かった。そのお礼として元和5年(1619)4月吉日、金堂一宇を建立ご寄進された。細川氏転封後、小笠原氏も信仰浅からず、享保9年(1724)、当時の荒廃を憂えた奥州南部の舟越又右ヱ門は、時の住職善応と謀り、再興の由を領主に請願されたところ、さっそくお聞き届けなされ、若干の金穀を賜り、また領民へ寄付するようお達しをされたので、堂宇をはじめ石段までことごとく修理がととのった。領主はたいへん喜び、多くの田んぼや山林をご寄進された。その後、嘉永6年(1853)11月、庫裡一宇の再建があり、明治維新の廃藩に至るまで、堂々たる国主のご祈念所であったと記されている。(「三光村の史蹟を訪ねて」より)」

護摩焚き

 

 

 

九州最古の飛鳥仏の銅造観音菩薩立像(国指定重要有形文化財) ご開帳

 

 70名をこえる参拝者訪れていただき、厳かな読経と護摩焚き、笑い溢れる講話と楽しいお祭りでした。

 

 

 

 

 

 魚が入ったよ水槽に。

 

 『道の駅なかつ』の情報休憩室に設置している水槽にやっと小魚やエビたちが入ったよ。

色とりどりの熱帯魚とエビ、貝  エビなんか入った瞬間から藻を食いよった。その仕草がすげ~かわいい。

 

 お客さんも興味津々で、いろいろ聞いてくる。オレ(ハタ)はよう分からんけど、梅田尋平くんはすらすらカタカナ種名と特徴、飼い方なんかをこたえよった。

 

 魚を水槽に入れるんやけど、簡単に入れよるんやのうて、まず、水温を調節するために購入した魚を袋ごと水槽につける。

 

 その後、ph調整やその他もろもろ調整のために、針で穴開けて少しずつなじませる。

 

 30分ほどなじませたら

 ハサミで穴あけて、魚の意思で袋の外に出るようにほたっとった。  えれ~え繊細。

 

 

 

 世界一のアクアリウムクリエーターになるであろう 梅田尋平くんの第一作。ぜひ遊びに来てください。